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シナモンロール


ニューヨークで学生をやっていたころ、宿題で「街角アンケート」なるものをやったことがある。各自テーマを決めて街でインタビューを行うというものだ。僕のテーマは「アメリカ人の健康と食生活について」だった。

かくして、僕はある晩、近所のドーナツ店の一番奥のテーブルに陣取り調査を行った。警察官、カップル、夜勤の労働者・・・深夜のドーナツ屋にはさまざまな客が訪れた。店員の女性は協力的で、次から次へとサンプルを調査台に連れて来てくれた(笑)おかげで調査は滞りなく進んだ。

午前2時、無事終了。僕の調査によれば、夜中の12時過ぎにドーナツを食べているアメリカ人の95%が「健康のため食生活に気を遣っている」と答えた。なるほど、それでは僕も健康のために深夜のシナモンロールをいただくとしよう。


ドーナツ屋に入ったときのシナモンとコーヒーの香りは、僕がイメージするアメリカの香りだ。そして、シナモンの香りを嗅いだとき、いつも、一枚の写真を思い出す。それは、ドーナツ屋の写真でもなければ、シナモンロールの写真でもない。僕がニューヨークのグランドセントラル駅のテラスで撮った写真だ。

グランドセントラル駅は、外観もインテリアも歴史の重みを感じる美しい駅。天窓から降り注ぐ光のスリット、天井からぶら下がるシャンデリア、アールデコの装飾、間接照明、行き交う人々、ミュージシャン、ホームレス・・・そう いったもの全部がかもし出す雰囲気が僕は好きだった。
テラスからは、すべてを一望できた。その「特等席」を知ってから僕はカメラを持って足しげく通うようになった。ペーパーカップのコーヒーとシナモンロールを傍らにおいて写真を撮る。12月、背中の扉が開いた時に吹き込む外気は刺すように冷たかったが、天窓から入る冬の陽射しにやわらかく浮かび上がった人々の姿を僕は今でもはっきりと憶えている。

長らく暮らしたNYを去らなければならない日がすぐそこまで来ていた。僕の心の中に交錯するさまざまな想いが、コーヒーとシナモンの香りと共に、写真の中へとゆっくり溶けていった。


2005年12月記



今日の一枚
”シナモンの香り” アメリカ・ニューヨーク 1992年




fumikatz osada photographie