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6と1/2階の小部屋


久しぶりにパリに行ったら、東駅の近くの定宿が店を閉めていた。非常に残念だ。


便利な立地ということもあって、僕はもう10年以上もそのホテルを利用していた。
パリに長く滞在することはあまり無いが、ヨーロッパをめぐるにしても、アフリカに行くにしてもここのところずっとパリが起点になっていた。
まあしかし、「定宿」などというのは大抵こちらの勝手な思い込みであって、ホテルからしてみれば僕は時々やってきては2泊3泊して行くごく普通の客だったに違いない。受付の口ひげをはやしたアラブ系のおやじさんも僕にとっては「ホテルの顔」だったが、おそらく彼とって僕は多くの客の中のひとりにすぎないであろう。


そういえば、未知なるサハラ砂漠行きに不安を募らせたのもこのホテルだった。 ダカールからの飛行機が真夜中過ぎにパリに到着し、午前3時にチェックインしたこともあった。日本からの旅の荷物を解いたのも、旅への未練を残し安物のポータブルラジオでFMを聞きながら帰り支度をしたのもここだ。

いつも一番安い部屋を確保した。洗面台だけが片隅についている小さな部屋だ。最初は狭さに驚いたが、次第にその狭さは心地良さに変わった。一番安い部屋を選ぶ理由は値段の他にもあった。それは、このホテル、一番安い部屋が一番静かで見晴らしが良かったからだ。ビルは6階建。アコーディオン式の鉄格子の扉のついた古いエレベーターを取り巻くように螺旋階段が上階までつながっている。


当初、最安値の部屋は6階で通りに面しており、窓からは東駅の駅前広場が見渡せた。その後、部屋は裏手に移動し、最上階のさらに上、文字通り「屋根裏部屋」になった。例の受付のおやじさんから「7階はエレベーターでは行けないから、6階で降りて階段を使ってください」と宿泊の度に説明を受けた。なるほど、屋根裏部屋の廊下にはエレベーターの扉はなく、代わりに大きな滑車がエレベーターのワイヤーを巻き上げている。そこは7階と呼ぶにはまことに申し訳ない、6と1/2階のような空間だった。

部屋が裏手にまわり環境はさらによくなった。通りの雑踏からは完全に遮断されたし、窓からは遠くセーヌの向こうの第14区、ちょうどモンパルナスの辺りが見渡せた。足元に眼をやると、まるで身を寄せ合うように近所の家々が軒を連ねている。その風景がいかにもパリらしくて僕は大好きだった。


東京やNYに比べて、パリは比較的変わらない街だと思っていた。古いものがきちんと残っている。それでも、20年近く付き合っていると、少しずつ街も変わってくるものだ。さてと、また居心地の良い安宿を探さなければならない。それには、かなり時間を要しそうだ。


2007年12月記



今日の一枚
”ホテル C.F.” フランス・パリ 2002年


1 モーリタニア その1 




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