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モーリタニア その2


カネを取れる日本人がホテルに泊まっているという噂は瞬く間に伝わり、翌朝から玄関にガイド志願者が入れ替わり立ち代り訪れるようになった。ホテルの従業員は夜中でも内線電話をかけてくる。買った覚えの無い女が訪ねてくる。ここにいると、骨の髄まで吸い尽くされそうだ。おまけに、誰もが「あいつには騙されない方がいい。俺を信じろ」と僕に忠告していく。


モーリタニア3日目、砂漠を見に行くことにした。そうだ、僕は「サハラ」が見たいからここに来たのだ。
郊外に出るとそこは見渡す限りの砂の海。雄大なサハラの懐で僕は今までのストレスから解放されたような気がした・・・と思うのも束の間、帰りに車は県境のポストで止められ、運転手とガイドが警官の取調べを受ける。
さっき訪れた街の写真を許可無く撮った、ということで5千円の罰金を払わされた。そういう情報がいったいどこから伝わるのだろうか?ひょっとしたら、警官も運転手もガイドもみんなグルなのではないだろうか。もう誰も信じられない。

結局、運転手とガイドに1万円払ったから本日だけで1万5千円の出費だ。夢のサハラから一転、いとも簡単に現実に引き戻されてしまった。冒険とはお金のかかるものだと覚悟していたが、この調子でいくと3週間でいったいいくらになるのだろう?冒険と引き換えに僕の財布の中がどんどん砂漠化していく。
塞ぎ込んでホテルのロビーにいると、宿泊客のセネガル商人たちに「ここにいるよりダカールにでも行ったほうがいい」と促された。しかし、残念ながら僕には国境に行く術さえわからなかった。


ストレスは極限に達していた。4日目、航空会社に出向き高い手数料を払って、14日後のはずの帰りの便を翌日に変更した。その後、空港で滞在日程変更の申請をさせられた。滞在延長ならともかく短縮に警察の許可が要るなんて。結局、手続きに3時間もかかった。

完全にかかとに体重が乗ってしまった旅。もし、自分がポジティブな思考で行動したら。この旅は違ったものになっていただろうか?
モーリタニアを去る日、近くの旅行代理店へ両替に行った。店の老店主は、僕の僅か5日間に短縮されてしまった旅の話を聞き終えると、一枚の写真を見せてくれた。それは店が主催する「ラクダによる砂丘ツアー」の記念写真だった。砂漠の民の民族衣装に身を包んだ日本人女性のグループが砂丘の上で楽しそうに笑っている。老店主は両替した皺だらけのフラン札を手渡しながら、僕を哀れむように微笑んだ。


2005年11月記



今日の一枚
”青の民” モーリタニア・ヌアクショット 1999年


1 パリダカ 2 砂丘の向こう側の楽園  残照




fumikatz osada photographie