magazine top










ナゴルノ・カラバフ その2


シュシャに代表されるナゴルノ・カラバフはこうしてアルメニアとアゼルバイジャンの争いの度に支配図が上塗りされていった。絵画と違うところは上塗りの度に戦争があり血が流れ、兵士や一般の市民が死んでいるというところだ。勝ったほうが負けた方の居住区を焼き払い、ときには虐殺を行い徹底的に叩きのめす。憎しみの連鎖が両国の対立を根深いものにしてしまった。


ナゴルノ・カラバフをめぐる両国の小競り合いは毎年のように起きていたが、今回の戦争は1992年以来の深刻なものとなった。停戦発効によりロシアの平和維持部隊が現地に入り、過去の忌まわしい絵画の上塗りを繰り返さぬよう目を光らせている。
今回の戦争で圧倒的な財力とドローンなどの最新兵器で優勢だったのはアゼルバイジャンで、シュシャを奪還し中心都市ステパナケルトにまで迫っていた。戦闘による犠牲者は両国ともに出たが、アルメニア側は兵士も民間人にも多数の犠牲者が出ており、アルメニアのパシニャン首相にとってはこの情勢での停戦はまさに苦渋の決断だったに違いない。


停戦合意では今回の戦争でアゼルバイジャンが支配した地域の維持のほか、1992年の紛争以降アルメニアが実効支配してきた地域がアゼルバイジャンに返還されることになった。一時はアルメニア側にふれていたナゴルノ・カラバフ支配の針が一気にアゼルバイジャン側に振れたわけだ。これによりナゴルノ・カラバフのほぼすべてを失ったアルメニア国民たちの怒りが爆発し、首相の退任を求めるデモも起きている。僕が受けたアルメニア人の印象は寡黙で真面目で我慢強いというものだ。そのアルメニア人がデモを起こすのだからその失意のほどは計り知れない。


歴史を振り返ると、この停戦合意によってもたらされるのはあくまでも一時的な平和であって、ナゴルノ・カラバフ問題の根本的な解決にはならなそうだ。
以前、パレスチナ自治区を訪れた折、僕は会う人会う人に「イスラエルとの紛争をどのように解決したら良いと思う?」と聞かれた。自分なりの意見を述べると「そんなことは何十年も前から言われているよ。それが一歩も前に進まないから困っているのだよ」と話していたのを思い出す。なぜ共存できないのか、なぜ不平不満なく等分できないのか。僕のような第三者は単純にそう思うけれど・・・
平和へ導く全く中立的な第三国などというのは存在しない現状の中で、結局は当事国同士による武力によらない話し合いしか解法はないだろう。もし第三国にできることがあるとすれば、争いに加担することではなく話し合いの雰囲気を作ってあげること。それともうひとつ。両国が一緒に歴史を検証すること。ナゴルノ・カラバフに一日も早く恒久の平和が訪れますように。



2020年12月記


今日の一枚
” 雨上がりの街 ” アルメニア・バナゾール 2019年




fumikatz osada photographie