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山と写欲と私


そんなタイトルの漫画がありましたっけ?いわゆる「山ガール」だけではなく、日本では中高年にも登山は人気があるようだ。
ジョージアのカズベギでささやかな登山をして、山に魅了される気持が少しわかったような気がする。頂を極めた達成感こそなかったが、標高が変わるにつれ、太陽の角度が変わるにつれ、刻々と変化して行く景色に感動した。
そしてカメラを構える。さっき撮ったのに1分後は全く別の風景が撮れるような気がして、ついついシャッターを切ってしまう。気がつくと同じような構図の写真ばかり撮っている。まるで写真を覚えたての初心者のように感動のままに、ただひたすら写す。


感動はカズベギの風景が僕の日常からあまりにもかけ離れているために生まれたのかもしれない。とするならば、山を見慣れている登山者、普段山に囲まれた環境にいる人の目にはどう映るのだろうか。この風景を見て自分のように感動するのだろうか?この村の人達は近隣の山に登った経験を誰でも持っているものだろうか?
岩山はとてつもなく険しく高く、この斜面をどうやって登るのだろう?と想像するだけでもかなり時間が潰せる。そもそも、ここを登った人はいるのだろうか?
頂上付近にはいつも湯気が出ている箇所がある、雲ではなく確かに湯気なのだ。これは温泉なのか、それとも火口か?頂はどうなっているのだろうか?岩山の向こうにはどういった世界が広がっているのだろうか?


僕が登山にハマるとしたら、そういった好奇心にかりたてられて、だと思う。きっと登山者は一人ひとりが持っているんだろうな、山に登る理由を。それを自己完結させるために寡黙に頂を目指しているとすれば、それはなかなか格好良いではないか。


2019年12月記


今日の一枚
” カズベギの景観 ” ジョージア・カズベギ 2019年




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