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災害が残す心の傷


2011年、東日本大震災の数ヶ月後僕は旅をした。行き先は香港。大地震後の停電やら原発の放射能汚染やら、暗たんたる日本からとにかく逃げ出したかった。飛行機でわずか4時間飛んだだけでそこは別世界。いつもどおりの煌びやかな大都会があった。冷房の効いた部屋の中で僕の心は初めて解放されたのだった。


その後、九龍駅から列車に乗り上海に向かった。なぜ、空路香港に入り、陸路で上海に行ったのか?その理由を全く覚えていない。しかし、列車の中でインドネシア人の男性と会話した内容はなぜか覚えている。年老いた母親をつれて旅をしていた彼はやっと親孝行ができたと満足げだった。
「インドネシアはあなたの国と違って大きな企業もないしね、我々はまだ貧しいんですよ。何年も働いてお金を貯めないと海外旅行にも行けないんです」震災が起こったから気分転換に海外に旅出るなんて、僕はやはり恵まれているのだ。


あれから7年。今ではインドネシア人観光客を日本でたくさん見かけるようになった。数ヶ月前に乗った東京発バリ島行きの飛行機には、お土産を持ったインドネシア人でいっぱいだった。もしやインドネシアは急激に豊かになっているのか・・・そんなことを考えつつ現地に行ってみると、ジャカルタのような大都会でなくとも経済成長の勢いを感じた。
インドネシアが日本に追いつき追い越す日が来るかも・・・・上海に向かう列車の中で出会った親孝行な息子さんと自分の立場が逆転したところをなんとなく想像してしまった。


かつて日本にまだバブルの余韻が残っていたころ、海外からたくさんの出かせぎ労働者が押し寄せたということはどこかで書いたかもしれない。インドネシアも例外ではなく、日本に住んだことがあるという人にたくさん出会った。フローレス島マウメレのクリスさんもそのひとりで、2003年まで日本で働いていたそうだ。(イランでも、バングラデシュでも2003年に日本を去ったという人が多かったが、この年に入国管理法が改正されたのだろうか?)
「それじゃあ、クリスさんは東日本大震災を知らないんですね?」との質問に彼は「知りません」と答えた。
「でも私はここフローレスで大きな地震を経験してるんです」恥ずかしながら僕は知らなかった。1992年に起こったフローレス島近海の地震で津波が発生、まさにそのマウメレで2000人の犠牲者が出たのだそうだ。


日本にいると海外の災害のニュースは一時的な報道で、あたかも日本だけが大きな災害にあっているような錯覚に陥る。しかし実際は、世界の至るところで自然災害は起きているんだな。
最近、ロンボク島、スラウェシ島とインドネシアの大きな地震のニュースをたて続けに聞いてショックを受けた。その一方で、地震も津波も火山噴火といった地殻プレートの端っこで同じようなリスクを抱える国に住む者として、その不安は痛いほどわかる。


災害は人の心に大きな大きな傷をつくる。東日本大震災を経験した人たちの中ではあの日を境に何かが大きく変わったにちがいない。ポジティブな方へ?防災意識が高まったとか、今日を悔いのないように生きようとか・・・それもあるかもしれない。しかし、多くの人たちはあの震災で心に大きな傷を負ったのではないだろうか。ずっと安泰だと思っていた自分の生活に不安の影がチラチラと顔を覗かせるようになった。
それでも、原発の再稼動を推進したり、海外に原発を売り込もうとする日本の政治家は、いったい2011年の3月11日にどこで何をやっていたのだろう?災害にあっても再稼動する不屈の精神?僕に言わせれば、もうあんな経験は懲り懲りだ。世界中どこの国の人にもあんな経験はして欲しくない。



2018年10月記



今日の一枚
” 桟橋と火山 ” インドネシア・レンバタ島 2018年




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