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真冬のサーファー


「札幌から小樽に向かう途中、海岸線を走る列車から見える風景がいいよ」そういう話を北海道の友人から聞いていた。さて、函館本線の列車が海沿いに出ると本当に車窓に絶景が広がった。乗り合わせた外国人観光客も窓辺にへばり付く。その気持ちよーく解ります。ほぼ波打ち際を走っているから窓一面に冬の日本海。雪の海岸線は小樽や積丹半島に向けて緩やかにカーブを描いている。所々に突き出る岬は山がちでその麓に大きな町が見える。おそらくあれが小樽なんだろう。銭函、朝里、列車は海岸沿いの小さな駅に停車する。海岸線に建ち並ぶ漁の小屋が風景のアクセントになっている。


結局、小樽に居る間に僕は何度かここを訪れることになった。銭函の駅を降りて海沿いの雪道を歩いた。閑散として人気がない。商店も閉まっている、いや?営業中なのか?近所のそば屋のご主人に「街の中心はどこですか?」と尋ねてみたら「お客さんが今歩いてきた道がメインストリートなんですよ」とのこたえ。「見事に人っこ一人居ませんでしたけど」「ここは札幌のベッドタウンでね。本当は何か観光になるものがないといけないんですけどね」と苦笑した。その何もない冬の海辺に惹かれて僕はここに来たわけだから、あまり悲観的になる必要もないか。
ご主人は銭函で生まれ東京で暮らし再び故郷に帰ってきたそうだ。長年そこで暮らしていても未だに銭函から小樽に至る車窓の風景には感動すら覚えると話していた。ここにもあの海岸線のファンが一人。しかし、何十年見続けても心を動かされる故郷の風景があるというのは実は凄いことなのかもしれない。少なくとも僕はそういう風景を持っていない。風景が変わってしまったのか、あるいは自分の感性が鈍ってしまったのか?


再び銭函の海岸線を歩く。すると、後ろから何やら頭に大きなものを乗っけた人に追い越される。「おや?」と思いよく見ると頭の上に載っているのはサーフボードだった。アフリカの人みたいに大きなボードを頭に載せて早足で歩き去る。サーフィンは一年中できるものだが、氷柱の下がった雪道をサーフボード片手に人が歩いて行くというミスマッチ感はグッと目を引く。
サーファーはもの凄い早足で、僕は必死に追いかける。玉砂利の海岸に出ると一目散に波打ち際に走り寄り、息つく暇もなくパドリングを開始して沖に向かう。沖では既に先客たちが波を待っている。


冬の日本海では水温に比べて外気温が寒いから雲ができるんだっけ?低気圧が発達するから「うねり」も入って来る。冬はサーフィンには好条件なんだろう。とはいってもやはり寒そうだ。頭まですっぽりと覆われるドライスーツを着ても多分寒い。僕の知っている夏の海は柔らかく滑らかな感じがする。ところがここの海はどうだ?鉛色で硬質。まるで、金属板を旋盤で削ったみたいにザラザラしている。その上をサーフボードがガリガリと削っている。まるでスノーボードが雪面を削るように。


そう、小樽の冬はスノーボードもサーフィンも同時にオンシーズン。両方やる人は今日はゲレンデ、明日は海へ。まさに「サーフ&スノー」である。以前ここで「冬の日本海はさぞかし演歌調なんだろうな」と書いたけれど、いやいや、その風景はむしろユーミンの世界だった(笑)小樽に帰る車窓からあの美しい景色を見て、僕は雪雲の彼方に浮かぶ「真冬のサーファー」たちの姿を思い浮かべていた。休日の午後、波と時間を惜しむかのように鉛色の海をすべる彼らの姿を。



2016年2月記



今日の一枚
” 海への雪道 ” 日本・北海道 2016年




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