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長田文克の人類小図鑑 その2


今度はイランからヒマラヤ山脈の南側、南東のルートを辿ろう。こちらのルートはかなり劇的だ。アフガニスタン南部、パキスタン、インド、ものの本によればイラン高原に源を持つアーリア人たちの一派はこうして紀元前にインドにやってきたそうだ。
一方、インドにはもっと古い時代にアフリカの東海岸から海づたいにインドにやってきた肌の黒いトラヴィダ人という人たちが既に住んでいた。(彼らの代表的な直系の子孫は現在インドの南東端とスリランカにいるタミル人)それが合わさって現在のインド人を作っている。
けれども、そんな学説を引き合いに出すまでもなく、世界地図を見ればインドが西(イラン方面)からの人種、南(アフリカ方面)からの人種、東(東南アジア方面)からの人種という、いわば人種のT字路であることは容易に想像できる。


ということは、インドの西の端に住む人々の顔はよりイラン人のそれに近そうではないか。仮説をもとにラジャスターン州のジャイサルメールに行ってみると。いました、イラン人と共通要素を持つ顔の人たちが。肌が白く、小鼻はやや影が薄くなっているものの、筋の通った鼻は高く大きい。彫りが深く目はアーモンド型である。


東に進むと、首都デリーの人々の顔は実に多種多様だ。ギョロリとした丸く大きな目は南部からの影響か。ジャイサルメールに比べると肌の色も濃くなり、髪の毛は黒く太くなる
南下すれば東アフリカからの流れを汲む先住民ドラヴィダの特徴がもっと強くなるのではないだろうか?インドは北と南、西と東で明らかに顔が変わるというわけだ。


ここはそのまま東に進もう。東の端、コルカタやベンガル地方に行くと東南アジアの要素が入ってくるに違いない。顔が平面になり鼻が低く小さくなり、肌の色はやや明るくなる。そしてインド人の顔が僕たち日本人に良く似た東南アジアの人たちの顔に変わってゆく過程が見られるのは、おそらくバングラデシュではないかと思う。


ミャンマーから東は我々と同じモンゴロイドの顔になる。ただ、南ルートのモンゴロイドの顔は先に述べた北ルートの顔とちょっと違う南方系の顔だ。額が広く、目は円らで、鼻は低く最後のところでスッと立ち上がる。(これはこれでなかなか美しい造形だと思う)僕の経験ではベトナム人の顔にその特徴がよく表れていた。
この南からの流れもやがて東アジアの島国、日本にたどり着く。そう、この東アジアの果てでは南北をさえぎる山脈もない。ということは北からのルートと南からのルートが日本で再び合流しているということではないか。


顔立ちを分析するようになってから、電車の中で人の顔をまじまじと見るたいへん失礼な癖がついてしまった。しかし、よく観察してみると日本人の顔は意外にもバラエティに富んでいる。僕たちはよく冗談で「お前はソース顔だな」とか「あなたはしょうゆ顔だね」とか、「南方系の顔立ちだな」とか言い合う。真面目な話その通りなんだと思う。ということで自分の顔を自己分析すると、ははああ「北からの一派」だなこれは(笑)
それにしても、アジアの西の果ての顔をイラン人、東の果ての顔を日本人とすると「一体途中で何があったんだ」と思うほど違うね。いやぁ、顔って面白い。


2013年11月記



今日の一枚
” ポートレイト ” イラン・テヘラン 2013年




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