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レインボーマン


僕らの世代にとってインドといえば「山奥で修行するところ」だ。若い人は何のことだかさっぱりわからないだろう。そう、解らなくていいです。これはオジサンたちの幼少期へのノスタルジーだから放っといてください。


しかし、これを説明しないと話が進まないので少しだけ。「インドの山奥で修行して、ダイバ・ダッタの魂宿し・・・」のテーマソングで始まるのは1970年代初頭のTVヒーロー「レインボーマン」だ。
インドの山奥でダイバ・ダッタという超能力者の下で厳しい修行に耐えた主人公は「愛の戦士レインボーマン」となる。一週間の曜日にちなんだ月、火、水、木、黄金、土の化身に変身。月の化身は軟体術、火の化身は火炎術というようにそれぞれ得意技を持っている。その主化身が太陽の化身レインボーマン。「死ね死ね団」という日本を破滅に追いやるなんとも物騒な名前の悪の組織と戦う。しかし「愛の戦士」と「死ね死ね団」、いくら子供番組だからといってこの落差はひどい。勧善懲悪にも程がある。事故過失10対0だ。


今思うとこのレインボーマンというヒーローは唐突だった。なぜに「インド修行もの」だったのか?インド・リシュケシュで修行したビートルズに引っ張られたのか?調べてみると実はこのレインボーマン、いろいろな社会事象を風刺しているらしい。
しかし、当然僕ら子供はそんな難しい意味なんてものは全く考えず面白いヒーローものとして純粋に楽しんでいた。それは40年たった今も同じ。中年のオジサンたちが集まるとレインボーマンの話が始まる。
「インドの山奥でっ歯のおじさんガイコツ咥えて死んじゃった」なんて替え歌が流行ったなぁと一人が言えば、私のところは「インドの山奥でんでん虫捕まえたっ!」だったと言い、いやいや「インドの山奥でんでんでんろく豆うまい豆!」じゃなかったか?などと堂々巡りを繰り返す。かとおもえば「しかし、あの死ね死ね団のテーマソングの歌詞は強烈だったね」「ありゃ今なら放送禁止だろうな」などと妙なところで一同協調路線に戻るのであった。


しかし、僕はインドに行って思った。あんなに人の多い国でわざわざ山奥に篭って瞑想の修行に励む必要はないんじゃないだろうか?それは砂漠の町に寿司の修行に行くようなものだ。インドでの修行はむしろ街にあるような気がする。
例えば、インドでは道路を歩いていると後ろから来た人に肩をつかまれグイッどかされる。あまりの厚かましさに腹が立つ?あなたはそう思うだろう。ところが後ろから自分を抜き去って行くのは急いでいる人とか頭に大きな荷物を乗っけた人とか。それを見ると不思議と腹は立たない。先に行ってもらって良かったという満足感さえ持つ。東京だったらどうだろう。「どいてください」と言うのさえはばかられ、舌打ちをする、黙って抜き去り口論になるかもしれない。
列車の座席もそうだ。3人掛けの長椅子に5人目が来る、乗客は文句も言わずにそっとお尻が乗るだけのスペースを作ってあげる。NYだったらヘイ!エクスキューズ・ミー!だ。
他にもあるよ。クラクションを鳴らしながらリキシャを追い抜いて行くオートリキシャ。オートリキシャをクラクションと共に追い抜いてゆくタクシー。しかし、どの乗り物もやがて身動きの取れない渋滞にハマる。客はさっさと降りて歩き始める。渋滞に腹を立てても仕方がないでしょ。


インドの過密都市での暮らし方にはコツがあるようだ。それは、流れに逆らって踏ん張らないこと。インド人はぶつかりあわずに往なし合う。人は対面せずに同じ方向を向いている。みんなと仲良くやれというわけじゃない。「流し方」を熟知している。インドのような過密な社会で自分と対立する人といちいちぶつかっていたら、たちまちエネルギーは0になってしまうだろう。(もしかしたら、カーストから来ている部分も多いのかな)
ところが、外国人旅行者はそのインド流処世術を知らない。だから、客引きやタクシーの運転手と真っ向からぶつかってストレスをためる。そんなものはサラっと流せばいい。いつまでもそこに居座って口論する必要はない。相手もプロのインド人、おそらく次の客のところに行った方がいいと判断するだろう。このビジネスの姿勢もまた学ぶところがあるね。


さて、ここで深読み。レインボーマンは今の政治に似ている。正義は100%正義、悪は100%悪。自分ひとりの妄想、瞑想の中ではそう決め付けることができよう。でもね、世界にはおよそ200の国があり、日本には1億、インドには12億、世界には70億の人間がいるわけですよ。他者との関係というのは相対的に決まるものなのではないだろうか。つまり、せっかくインドに修行に行くのなら山奥に篭もるよりも、雑踏と混沌の街に出た方が学ぶことが多いのではないかという話。
とはいえ、「インドの街中」で修行したら違うものが出来上がっちゃうのかな「営業マン」とか。


2013年1月記



今日の一枚
” 切符売り場 ” インド・デリー 2012年




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