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荷物は頭の上


アフリカで最も印象的な光景のひとつといえば、荷物を頭に載せて歩く人々の姿かもしれない。ちっちゃな包みから大きな水甕までアフリカの人(特に女性)たちは荷物を背負わずに天才的な平衡感覚をもって頭に載せてしまう。
バスやタクシーも同じ考え方。荷物はトランクではなくまず屋根の上に積まれる。出発前の長距離バスの屋根には大抵荷物係がいて荷物を要領よく屋根にくくりつけ、そのチップで生計をたてている。しかし、バスが近代化されるにつれて床下の荷物室に放り込む方式が増えている。アフリカの名物がまたひとつ消え、屋根の上のお兄さんたちの仕事が減ってしまうのは残念だ。


さて、頭の上の荷物の話に戻ろう。僕が常々疑問に思っていたことがふたつある。
まず最初は「荷物を頭の上に載せると本当に楽なのか?」ということ。例えば、重い荷物を背中に背負うというのは手で抱えるよりはずっと楽である。しかし、頭に載せるのはかなりつらいのではないか。人間の首というのはそれほど頑丈にできているのだろうか? ましてやか細い女性の首が...
疑問その2。アフリカの人たちは頭に荷物を頭に載せることを自然に会得するのだろうか?自転車だって、水泳だって、僕たちは一所懸命練習した。決していつのまにかできるようにはならなかった。だとしたら、彼女たちはどこか陰で必死に練習しているのだろうか?何歳ぐらいで頭に荷物を載せられるようになるんだろう?僕にとってそれはずっとずっと謎だった。


ところがある日、エチオピア・ハラルの迷路ような路地を曲がったら・・・ハッ、こ、これは・・・あれほど知りたがっていたくせに、僕はなんだか見てはいけないものを見てしまった気がしてサササッと塀の陰に隠れた。ついに!家政婦は見てしまった!
「と、特訓しとる・・・」少年が砂の入った「たらい」を頭に載せて路地を往復していた。それを冷やかし笑いをしながら見守る友人たち。子供たちに聞いてみたが言葉もわからず、それがマジメな練習なのかはたまた何かの罰ゲームなのかついにわからないまま。一大スクープだと思ったのに・・・


考えてみれば僕たちの文化において「頭」というのは特別な存在だ。相手に自分の一番重要な部位を見せるお辞儀の習慣とか、魚の御頭つきとか、体の部位の中で頭は最も神聖な場所である。だから、人間の頭の上によりによって荷物を置くというのはかなり常識外れた行為に感じられる。
がしかし、習慣がないから役に立たないと決め付けるのは早計だ。ということで、とりあえず僕は本1冊から始めることにしよっと・・・あれ?これ意外に簡単。そして、なんだか何だか新しい世界が目の前に開けた・・・ような気がした。


2012年11月記



今日の一枚
” 特訓 ” エチオピア・ハラル 2012年




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