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あとかた


パレスチナ人であるハッサンの故郷は現イスラエルのラムラという街だ。地中海沿いのテルアビブから20kmほど内陸に入る。イスラエルによって財産を没収され、幼いハッサンは両親と共にヨルダンに移住してきた。俗に言うパレスチナ難民だ。しかし、ヨルダンの人口のおよそ7割はパレスチナ人だから彼らはいわばヨルダンでは多数派である。


一人の外国人旅行者が、現在のラムラを訪れ街の写真を撮ってきてハッサンに見せた。新たに造成された入植地ラムラの風景は現代のものに変わっていたけれど、それでも、ハッサンは自分が子供のころ遊んだ風景の断片を写真の中に見つけた。「ふふふ、こうして今はイスラエルになった街を訪れ写真に撮れるのは旅行者の特権かもしれないわね」感慨深そうに一枚一枚写真を見るハッサンに旅行者は微笑みながら言った。


ヨルダンにいるパレスチナ人はみな同じように帰ることもない故郷を持っている。彼らの文字で書かれた看板は他の言葉のものに掛けかえられ、自分たちの遊んだ野山では全く別の子供たちが遊んでいる。かつて自分たちの生活の場だった街に今は違った人たちが暮らしている。それでもまだ人が住んでいる場所は良いほうで、入植の進まない街では先住民の残り香だけが徐々に風化していっている。

ハッサンたちの「あとかた」が少しずつ消えてゆく。

2012年1月記



今日の一枚
” 錆びてゆく記憶 ” ヨルダン川西岸パレスチナ自治区・アルカリル(ヘブロン) 2010年




fumikatz osada photographie