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本はソラから降ってくる その1


「誰でも一生のうちに一度は映画を集中的に見る時期がある」そんな言葉を聞いて少々がっかりした。そういえば僕はついこの間までかなり集中的に映画のDVDを見ていた。そして最近パタリと見なくなった。つまり自分は一生に一度の映画期を終えたということか。


その代わり本を読むようになった。一生のうちに一度読書に熱中する時期があるなら、僕の場合たぶん今がその時だ。それでは僕がなぜ読書をしだしたかというと「電子書籍」というものが自分の生活の中に入ってきたからだ。
実は僕自身、電子出版を前々から考えており、昨年、米amazonのKindle(キンドル)という端末を研究もかねて購入した。さて、購入したものの、自分の文章を試験的に表示させる他に読む日本語電子書籍もない。仕方がないので洋書を漁り始めた。そして読書にハマってしまった。


文章を読むのは人並みはずれて遅い。日本語でも遅いのだから英語ならなおさらだ。今までに沢山のペーパーバックを最後まで読まずに放り投げた。細切れで読み進めていくうちに内容がわからなくなってしまうのだ。まるで草むらの中に小道が消えてゆくみたいに(笑)
ところが、電子書籍だとあっさり読めてしまう。おそらく紙の分厚さによる威圧感がないことや、ページ数ではなくパーセント表示だということ(325ページと表示されるより85%と表示された方が目標が立つ)、辞書機能が簡単に使えることなどが関係していると思う。
だんだん読み方のコツも解ってきて、結局、この1年間で12冊の本を読んだ。ひと月に1冊、なかなかいいペースだと思う。「趣味は読書です」子供のころから一度は言ってみたかった(笑)ちなみに今年購入した紙の和書はわずかに1冊だ。


購買意欲を刺激するという点においてアメリカ人は天才である。ものの価格設定が絶妙だ。本は時間が経つと値引きをされる。新刊は待てば必ず安くなる。これは電子書籍でも同じ。殆どの本が電子書籍化されているし、サンプルの読ませ方もうまい。サイトの「関連書籍」や新聞の書評、友人からの「お勧め」を参考にサンプルをどんどんダウンロードしてしまう。そのあと「次に読む本の吟味」という僕にとって最も楽しい時間が始まる。


こうなって来ると日本の本も電子書籍で読みたい。しかし、残念ながら日本の電子書籍の普及状況は絶望的なくらいアメリカに水をあけられている。
アメリカの電子出版のすばらしいところはコンテンツの普及に重点を置いているところだ。キンドルの無料ブラウザさえ入れれば専用端末である必要もない。PCでもスマートホンでもi-Padでも米amazonで電子書籍を購入して読むことができる。
対して日本はハードの論議に終始してしまう傾向がある。結果として、国策に踊らされて買った40インチのハイビジョンテレビに映るのはショッピングチャンネルばかりだとか、写真を語り合わずにカメラを語ってしまったりする。電子書籍のコンテンツが普及しないから日本の若者たちはついに紙の本を裁断し始めた。 バラしたページをスキャナーで読み込み電子書籍端末に入れて読んでいる。ああ、なんだかひどく貧しい。すべての本がバラバラにされてしまう前にはたして日本に電子書籍の夜明けはくるのだろうか? こればかりは読者はどうにもできない。すべては旧態依然とした出版業界の変革次第というわけだ。


あれ?もしかして完全に能書きになっている?というわけで次回はきちんと本の内容に触れよう。

2011年11月記



今日の一枚
” 私の本 ” 日本 2011年




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