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タイムリミット その2


タイムリミットが与えられ、制限時間内でことを行わせてもらっている時期というのは、その人の人生が「うまくいっている時」なのかもしれない。なぜなら、タイムリミットというのは本来、他者によって定められるものなのだからだ。残念ながら、うまくいっていない時というのはタイムリミットすら定めてもらえない。「まあ、勝手にやってください」と放り出される。


僕はとあるドキュメンタリー番組を見ていた。番組の中で映画監督・アニメーション作家の宮崎駿さんが口癖のようにつぶやく。「時間がない時間がない」と。
宮崎さんは1941年生まれ、遅咲きの作家だそうだ。1984年に「風の谷のナウシカ」がヒットしてその後は精力的に大作を世に送り出している。そんな宮崎さんがなぜ「時間がない」と口にするのか。それは僕らの人生に与えられた「時間」には限りがあるからだ。つまり、こうしているあいだにも自分の持ち時間はどんどん減っている。だから時間がない。


これに対して「若い時分には有り余る時間があっただろうに」という人がいるかもしれない。しかし、先にものべたように人生には有効な時間を使わせてもらえない時期もある。僕はそれを「死んでる時間」と呼んでいる。ただし「死んでる」というのは主観的にであって、物理的な時間はロスタイムなしにどんどん流れてゆく。人間は確実に老いてゆくのである。モーリタニアの砂漠の町で人々が眠っている間にも砂が積もっているのと同じだ。


さて、人生半ばに幸運にも転機が訪れ、他者に定めてもらったさまざまな制約の中で自分のやりたい仕事ができるようになった。しかし、当然ながら若いころに比べて自分の持ち時間は減っている。そこで宮崎さんは口にする「時間がない」と。なんだかすごくよくわかる。


考えてみれば人間の寿命だって神様に決めてもらうのだ。自分では決められない。しかし、過去の偉人たちはこの限られた人間の寿命の中で何かを成し遂げて歴史に足跡を残してきている。仮に人間が千年生きられるとしたら、すばらしい芸術作品が、発明が、この世にあふれていただろうか。そんなことはないだろう。


つまり、僕たちはもっと短いタイムリミットの中でやりくりしているわけだ。一生を費やして「集大成」や「超大作」を作り出す芸術家はいないであろう。短いタイムリミットの中で作り出される数々の作品がやがてキャリアの集大成となり、時間と予算の制約の中でなんとか作り出した作品のなかの一つが超大作になる。


そういうわけで、話がようやく最初とつながった(笑)他者から与えられるタイムリミットの中で仕事ができることがどれほど大切かおわかりかと思う。それでは、タイムリミットを定めてもらえない時に人は何をやるか。うーん、たとえば自分で期間を定めその時間内で写真作品を撮る訓練に励んだりするのである(笑)

2010年3月記



今日の一枚
” アゾフ海 ” ウクライナ・マリウポリ 2009年




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