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タイムリミット その1


「1週間そこにいて写真が撮れなければ1年いたって撮れない」そんなことをある写真家が書いていた。これは結構「身に覚え」がある(笑)


そういえば、昔はずいぶん長い時間を使って写真を撮った。1年とか半年とか「長ければ長いほど何かが撮れる」そう思っていた。 たくさん撮れば「当たり」も増えるのではないかと素人ながらに考えていたのだ。しかし、そういうものでもないらしい。 1年かけても撮れない時は撮れないのだ。

その後、僕の旅先での持ち時間は短縮されてゆく。これは自分が多忙な毎日を送るようになったという意味ではなく、有り余る時間を使って写真を撮るだけの気持ちの余裕がなくなったのだ(笑)
僕の旅は1年から3ヶ月に、3ヶ月から1ヶ月に、1ヶ月から2週間になり、つい先日のウクライナはわずか12日間という短い日程だった。移動の時間を考えるとさらに写真を撮る時間は減る。

こうなってくると1週間後に写真が撮れなかったでは遅い(笑)撮影のスタイルもおのずと変えなければならなくなってくる。つまり自分に時間制限を課す。たとえ1つの街に4日間しか費やせないとしても、何かしら写真作品として形にする。
そう書くとなんだか昔より条件が悪くなっているようだが、時間的な制約というのは自分にとってプラスになっているようだ。僕はここで陳腐なプロフェッショナリズムを語ろうとしているわけではない。 もっと単純に僕たちの生活において「タイムリミット」というのは必要なものだと思うのだ。使える時間に限りがあるから人は物事に集中でき、 やや大げさに言えば何かを成し遂げることができるのではないだろうか。

もし海のような広大な時間が与えられたらどうだろう。集中力を維持させるのも困難だし、ブレずに進むこともまた大変になるであろう。 そして、そのタイムリミットが短くなっても人は不思議と順応してゆく。与えられた時間内になんとかするようになる・・・ようだ(笑)

2010年3月記



今日の一枚
” ポートレイト ” ウクライナ・マリウポリ 2009年




fumikatz osada photographie