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オテル・ソボバデ その4


ホテルに帰ると早速、胃薬を飲んだ。それにしてもこの吐き気は何だろう。とにかく我慢我慢。寝れば治る。そう自分に言い聞かせて僕は眠った。しかし、明け方3時ごろ吐き気で目が覚めた。もうそれからは1時間おきにトイレに通うといった具合だ。
そのとき、僕はようやく気づいた「これは食あたりというものではないか?」何にあたったのだろうか?もう明白である。蝋燭の下で食べた「フォア焼き」だ。ガラスケースに入っていたフォアは炎天下何時間あそこに放置されていたのだろうか?そう考えるとゾッとした。しかし、時すでに遅し。「冷蔵庫が動かない可能性があるから、停電のあるところで肉類は絶対に食べるな」という旅の鉄則があることを僕はずっと後になって知った。


翌日はかなり悲惨なことになった。朝から吐きっぱなし。気分転換に蒼い顔をしたまま外に出る。外で吐く。ううっ・・・ホテルの前で土産ものを売っているお兄さんが声をかけてきた。「ハイ、モナミ、昨日も会ったね。土産見てってよ」「ああ、それどころじゃないんだ。食あたりでさ」「それはいけないね。コカコーラは飲んだかい?」「ん?コカコーラ?」「そうさ、気持ち悪いときにはコカだよ」彼の言うことは筋が通っているのだろうか?そういえば、コカコーラで吐き気がおさまるという話を聞いたことがあるような気もする。「そっか、コカコーラだよね、コカコーラ」僕は助言に礼を言ってその場を離れた。そして、ホテルのレストランで瓶のコーラをもらい海岸の岩場に座って一気に飲んだ。今までにも増して盛大に嘔吐した。ホントにコーラで良かったのだろうか?

ああ、気持ち悪い。岩影の砂浜で体を「く」の字にして腹をかかえて横になった。この姿をどこかで見たことがあるような・・・そうだ、昨日の野良犬だ。もしかしたらアイツらも同じものを食べたのかもしれない。犬も寝そべるのどかな「楽園」は犬も食あたりに苦しむ「失楽園」だったのか。

砂浜で蒼い顔をして横たわる僕を地元の子供たちが、まるで危険人物を見るような目でとおまきに眺めながら通り過ぎる。お前らにオレの苦しみがわかるかぁ。
旅をしていて「もしや自分はここで野垂れ死ぬのでは・・」と思ったことは何度もあった。灼熱地獄の砂漠で、寝不足と疲労で強盗に会って・・・しかし、ここトゥバブ・ディアラオの浜辺がもっとも天国に近かったような気がする。もし、手鏡で自分の姿を映してみれば頭に半分ぐらい『わっか』ができていたに違いない。

いやいや、このままあの世に行ってはいけない。とりあえず、少しでも食べ物を口にしたほうが良いと思いホテルのテラスでフルーツを食べた。「コンニチワ、ゴキゲンイカガデスカ?」ああ、昨日のフランス人の彼女だ。「サイアクナンデスヨ」顔面蒼白の僕は冗談を言う余裕もなかった。
門のところで土産もの売りのお兄さんがまた声をかけてきた。「コーラ飲んだよ」「おーそうかい、沢山吐いたかい?モナミ」とほほ・・・コーラを飲めというのはつまりそういう意味だったのね。
部屋に帰ると今度は下痢が来た。僕の体内の毒物は胃袋から腸に移ったらしい。しかし、人間の体は健気だなあ。なんとか毒物を出そうとがんばってるのだ。それから丸2日、僕は美しいフランス人女性ではなくトイレの便器と非常に親密な関係になったのであった。


4日目の夕方僕はマイスの家を訪ねた。彼は留守だった。4WDを借りてホテルの客をダカールまで送りに行ったとのこと。マイスは僕に村を案内できなくてとても残念がっていたそうだ。少々心残りだが、翌日次の目的地に向かうことにした。体はまだ本調子ではないけれどそろそろ動かないといけない。
出発の朝、僕はコツコツという音で目を覚ました。部屋の天窓を見ると小鳥がこちらを見ながら、くちばしで窓を叩いている。自然の目覚まし時計。それは4日間の悪夢から現実に戻った瞬間のようでもあった。「もう一度ソボバデに来よう。その時はミモザでおいしいイタリア料理を頂こう」僕はそう心に誓った。

2009年9月記



今日の一枚
”ポートレイト ” セネガル・トゥバブ・ディアラオ 2002年




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