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サヨナラホームラン


「ちょうど卒業旅行のシーズンだろうか?はて?今の学生も卒業旅行に行くのだろうか?」僕は少年たちの草野球の古い写真を見てふと思った。
そう、あれは冬枯れのセントラルパークを歩いている時のこと。芝生の庭で少年たちが草野球に興じていた。暫く観戦させてもらった試合はやがて「サヨナラホームラン」で幕を閉じた。僕は思いがけず劇的な場面を彼らと共有したのだ。

僕は「バブルっ子」だ。バブル期の日本でのんびりと学生生活を送った。大学4年になれば友人たちはみな内定を3つ4つ取って来て、夏休みぐらいには大体就職先が決まっている。そういう時代だった。でも僕だけは例外。要領が悪く消極的、オマケにねらっていた業種がマスコミとあって全く就職先が決まらなかった。ようやく、ある会社に拾ってもらったのは年が明けて2月上旬のこと。3月中旬には仕事を覚えるために手伝いに来て欲しいと言われていたので、その間に遅ればせながら「卒業旅行」に出かけることにした。カメラをぶら下げてアメリカを2週間放浪した(笑)「さよならホームラン」はその時の写真だ。


おそらく今の学生たちはもっとシビアな現実の中に生きているのだろう。「お金がない人は海外旅行なんか行かなくてもよいのだ」航空運賃が値上がりし、中にはそんな乱暴なことを言う人さえ出てきた。しかし、本来はお金がない若者こそ外の世界を見るべきなのだろう。バックパックを背負って自由に世界を巡る若者の旅行とお金を使って楽しむ熟年のパックツアーでは旅が人生観や人格形成に与える影響の大きさは全く違うだろう。つまり、若いあなたがもし、そういった好奇心を持ち合わせているならばできるだけ頭が柔らかいうちに外の世界を見ることを僕はお勧めする。

若い人たちに旅を勧める理由は他にもある。それは「物事を自分の目できちんと確かめてほしい」からだ。便利な世の中になって大抵のことはインターネットで調べることができる。「口コミ」なんていうのは至るところに書かれている。他ならぬ僕もインターネットによる予習は今や欠くことのできない旅支度になった。けれども、マスコミやインターネットの情報だけで世界を分かった気にはならない方がよい。世界の人たちが何を思っているか、何が問題になっているか、ということは自分の目と耳で確かめるべきだ。

そういう旅を続けて行くうちに自分の根っこの部分がどんどん磨かれて行く。国際人として必要なものは外国語を流暢に操ることでもないし、外国通になることでもない。「つまり、人間の根っこにある部分が一番重要なのだよ。グローバリティじゃなくユニバーサリティだよ」サヨナラホームランの写真はそう教えてくれているような気がする。もちろん、当時の僕はそんなことを知る由もなかった。


2007年2月記



今日の一枚
”サヨナラホームラン ” アメリカ・ニューヨーク州・ニューヨーク 1989年


 偶然の出会い




fumikatz osada photographie