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難読地名と昭和ノスタルジー


今回はまず問題から。「Qawra」はあなたならどう読むだろうか?マルタには難読地名が多くて、観光客たちはみなバスの行き先を尋ねるのに困っていた。いや、困り果てていた(笑)そんなことにはお構いなしに、Naxxar、Ghadira、Zejtun、Dwejra、Xlendi、Zebbiegh、Xghajra、Gharghur、Xewkija・・・ 難読地名の総攻撃は続く。
「ゴジラに行きたいのだけれど」「え??」程度の会話は日常茶飯事だった。少なくとも僕はいつもこんな感じでマルタ島民たちの失笑を買っていた。それでは、これらの地名、本当は何と読むのか?どうか聞かないで欲しい。とりあえず最初の問題の答えだけは記しておこう。「アウラ」が正解だ。


そのアウラにアパートを借りて2週間ほど過ごした。マルタ島の中ではもっとも大きな観光開発エリアだそうだ。それでも、僕が訪れた当時はまだホテルも住宅も建設中のものが多く、空き地と資材置き場が目立った。それは、なんとなく昭和40年代高度経済成長期の日本を彷彿とさせる風景だった。
アパートが僕の昭和ノスタルジーに拍車をかける。湿っぽいビニールタイルの廊下、そっけない鉄の扉の玄関。部屋は3階の1DKでサッシの引き戸を開けると、洗濯物が干せる程度の小さなベランダが付いていた。そこからは、埃っぽい広場と歩道、空き地に置かれた建築資材、そして、置き去りにされたダンプカーなどが見える。それは「文化住宅」や「団地」という言葉を僕に連想させた。さらに、1階はレストランで毎晩客たちのカラオケに付き合わされた。けれども、夜のカラオケ以外は静かな環境だったし、何よりも肩肘張らずに過ごせるところが良かった。海岸沿いの高級アパートメントホテルのオーシャンビューこそなかったが、100mも歩けば美しい地中海の岩場に出ることもできた。


夕食を食べながらラジオを聴いていると、さまざまな言語の放送が入ってくる。マルタ語、英語、イタリア語、アラビア語、フランス語。ここが地中海の十字路であることを改めて実感する。そういえばマルタの難読地名の数々は、アラビア語のようでもあり、ラテン系の言葉のようでもあり、ギリシャ語のようでもある。

おや、今夜も下でカラオケが始まったようだ。下手な英語で始まったカラオケは、やがてドイツ語の大合唱に変わった。


2005年10月記



今日の一枚
”岩場の海岸” マルタ・アウラ 1994年


1 トッポジージョ マジョルカの春




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