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ボルガという車
 

バナゾールの町で写真を撮ってたら古いセダンが僕の前を通り過ぎた。助手席から男の子が微笑んでいる。あっ、ボルガだ。ロシアの自動車。車名はたぶんあのボルガ川から来ているのだろう。


自分にとって旧ソ連の国共通の景色というのが存在する。一つは頭上を走るガス管。これについては以前書いた。もう一つは朽ち果てて路上に放置されたソ連製の車。僕の経験からいくと車種は十中八九GAZ(ガズ)社の「ボルガ」である。
ボルガは大衆車ラーダとは違って立派な中型セダン。しかし、ラーダは未だに現役で走り回っているのに対して、ボルガの末路はなんとなく物悲しい。ボディには錆が浮き、タイヤはぺちゃんこ。枯れ葉を纏って捨てられている。この車はなぜこれほど路上で息絶えているのだろうか?


初めてボルガ(正式には前身のポベダ)を見たのはウクライナのドネツクだった。ご多分に漏れず落ち葉を被って歩道に放置されていた。大戦後すぐに生産されたその車はレストアすれば立派なクラシックカーになりそうだった。しかし、現実は放置車両。ウズベキスタンのブハラでは比較的新しい型のボルガが大樹の下で砂漠のホコリを被っていた。


バナゾールでも二台の息絶えたボルガを見かけた。一台は1970年代のモデルで鮮やかなブルーのボディ。住宅地の草むらに捨てられていた。もう1台は1950年代後半の初期型。サビが浮き始めたシャンパンゴールドの車体がまるで芸術作品のように並木道の隅っこに置かれていた。芸術作品?そう、この車はまさに町の画作りのためのオブジェとして放置されているかのようだ。オーナー同士「動かなくなったボルガは景観づくりのために放置しましょう」という暗黙の了解があるのかもしれない。


現役で活躍しているボルガの旧車にも会った。ワインレッドとグレーのツートーンボディーの車は団地の前に停められていた。クロームの細工に至るまでピカピカに磨かれていて、ボンネットには古い団地が写り込んでいた。横腹に擦り傷さえあるが大事に乗られている感じだ。
ふと思い出したのがキューバを走っていた50年代のアメリカ車である。大胆なデザインは今見てもカッコいい。上品なクラシックカーであった。対してこのボルガの初期型はそれとはちょっと違う。なんというかポンコツと流麗さの境界線にいるというか・・・そうボルガに一貫して流れる魅力はこの「ダさクールさ」なのである。


そして、もう一台が僕の前を通り過ぎたグリーンの車。後日交差点を渡っているときに再びボルガに出くわしてシャッターを切ったら例の男の子が「またあんたかい」と言う表情で助手席で笑っていた。よく見ると後部座席のシートは剥ぎ取られて鉄板がむき出しになっている。それでも男の子は得意げである。父親のセダンに乗せてもらって街に買い物に行くのはワクワクするものだ。ふと幼少期の自分と重ね合わせてみたりして。
こうした「思い出の残骸」が古いアルバムのように街のあちこちに置き去られている。あるいはスクラップ工場に連れて行かれるよりも、町中で静かに朽ち果てて行くのがこの車にとっては幸せなんじゃないかとさえ思えて来る。