English
バナゾール

誰もが知っている大都市より、その周辺や地方にあるごく普通の町が好きだ。有名どころは大抵お上りさんたちで溢れているから、その国の人の日々の生活に触れたければまずは都市を外せ、というのが僕の信条。
それがバナゾールという町に来た理由である。求めていた場所だという確証はない。地図から読み取れる場所と町のサイズだけから判断した僕の勘である。思うような写真が撮れそうだという勘。


宿を取りスマホの地図を開いた。先日のアラベルジは銅山の町だったけれど、バナゾールはどんな産業で栄えた町なのだろう?この町にはアラベルジの精錬所のような強烈なアイコンがない。あるのは・・・化学薬品工場?そういえばバナゾールって殺虫剤みたいな名前だ。
大通りは3本だけ。そこに碁板の目のように道路が交差している。町にはアラベルジのようなせせこましさがない。平地が広く、周りの山裾まで距離があるからだろう。町の端だけが捲れるように登り坂になっている。アラベルジと同じロリ地方の州都はやはり河岸段丘の上に建っているのだろうか?だとしたら太古の川はここではかなり川幅を広げていたのかもしれない。


3本の大通りのうち真ん中が目抜き通りらしい。ショーウィンドウが軒を連ねている。ブティックにファストフード店、ファミレス、大学に理髪店・・・必要なものはおおよそ揃っている。その裏手一帯は市場。古い体育館のようなロシア風屋内市場で肉や乳製品が売られ、その周りに野菜や果物を売る出店がひしめく。青果だけではない、洋品から自動車の中古部品まで何でもある。
一日数本しか列車の止まらない駅舎の一室には画家が居心地の良いアトリエを構えていた。この町にも立派な教会がある。公園が点在し、僕の好きな室内プールの設備もあった。季節は秋真っ盛り。色づく並木道の下を市民たちがそぞろ歩いている。


町の大部分は住宅地。目立つのは古い団地と伝統的な様式の古民家だ。団地はアラベルジのものより規模が大きい。共通点は「古い」というところ。ここでも敷地の中へ僕が入ると直ちに住民の視線を浴びる。よそ者は一目瞭然なのだ。幸いにも住民の反応は好意的で、にこやかに挨拶を交わしてくれる。アルメニアの団地の一階はなぜかパン工場に改装されているところが多く、パートの主婦たちが生地をこねている。
もうひとつ、団地の風景で印象的なのは洗濯物だ。物干しのロープが向かい合う団地棟に渡してあり。両端に滑車がついている。自分のところの洗濯物を干すとロープを繰り出し、今度は反対側の住民がロープをたぐり自分のところの洗濯物を干す。これは両家の共同作業だ。晴れて高層団地にはられたロープに色とりどりの洗濯物がはためく。ところでこのロープ、どうやって二棟の間に渡したのだろうか?


団地以外のいわゆる戸建て住宅はその殆どが古民家風である。伝統様式の木造の立派なテラスがあったり、納屋のような屋根裏部屋が突き出ていたりする。単なる飾りか、作業場の名残か?
一方、新しい住宅の中にはガウディ建築のような奇抜なデザインのものもある。しかし、新築の時からなぜか古民家風(笑)で落ち着いた町の雰囲気に程よくマッチしている。


住民は観光客ズレしていない。この地方の交通の要所ではあるけれど、この町を目的に訪れる観光客は少ないのかもしれない。かといって田舎の排他的な感じもない。地方都市独特の角が程よく丸まった感じとでも言おうか。町で会った人は僕にこう話した「バナゾールはどう?良い街でしょ?ここが私のホームタウンよ」こう胸を張って言えるのがちょっぴりうらやましい。


夕方、僕は高台にある医療センターの駐車場にいた。見舞いの帰りだろうか、老人が車のトランクに荷物を積み込んでいる。その背景の山々が秋の夕日に赤く染まる。病室の人は故郷の夕暮れの風景に何を想っているのだろう?病院から杖をついて家路をたどる人もまた同じ風景を見ている。僕のような通りすがりの者には彼ら彼女らの長い物語はわからないけれど、ふとした瞬間にその断片に触れることがあって、その一瞬をカメラですくい上げられれば、といつも思う。