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明くる日、テラスで朝食を食べている僕の目にキラッと光るものが映った。背後の山の頂を見ると銀色の十字架が朝日に輝いている。墓地だろうか?後で確かめてみよう。

病院の横を抜け広場に出る。野菜売りのマリアさんと立ち話をした。彼女は銅山の工場で働いていたが、長期閉鎖の影響でここで野菜を売って生計を立てているのだそうだ。
工場の煙が出なくなって人々の生活環境は良くなったけれど生活は苦しくなった、皮肉なものだ。


今日はオズンという町へ行ってみる。しかし、バス乗り場へ行ったら今日は一台も止まっていない。タクシーの運転手が声をかけてきてロシア語と英語で何か言っている。 大体、内容はわかったのだが、彼は僕が日本人だとわかると手に持ったスマホにアルメニア語で語りかけた。そして僕にスピーカーを向け翻訳アプリ始動「今日は土曜日ですのでバスの運行本数はごくわずかです。 近辺の観光地を効率よく回るにはタクシーが便利です(日本語)」だそうです(笑)
そうか、今日は土曜日だった。でも、少ないけれどバスがあると言っていたな。そこにいるとタクシーの運転手たちのターゲットになりそうなのでバス停へ移動。

なるほどバスはさっぱり来ない。いや、ときどき停車するのだが目的地のオズン行きではない。余談になるがここのバスは古風で味がある。愛嬌のある丸っこく黄色い車体、明かり取りの天窓、まるでブリキのおもちゃのようだ。

1時間ほど待って停車したオズン行きは残念ながらあのクラシカルなバスではなくマルシュルートカだった。仕方がない、バスはまたの機会に。
マルシュはつづら折りの山道に入りぐんぐん高度を上げてゆく。横に座っている女の子が頻繁に僕の方をチラッと見る。視線を感じた僕が振り向くとふと視線をそらす。その仕草がなんとなく可愛らしい。アジア人は珍しいのかな? 窓の外には周りの山々を見下ろす絶景が広がっている。アルメニアの国土はそのほとんどが山なのかもしれない。


山道を急に登ったのであたかも高原に来たような印象だが、オズンもまた河岸段丘の上に建っている。ここにも古いアルメニア教会があり、門の前には大型の観光バスが横付けされて外国人の観光客でごった返ししていた。 いつものようにそれを横目で眺めつつ町を歩いてみる。
広々とした庭、畑、果樹園、この町は農業で生計を立てているのかもしれない。昨日訪れたアラベルジ新市街は工場労働者と団地の町だったから雰囲気は随分違う。

田舎道をのんびり歩いていると、農家の庭先で女性たちが何か作業を行っているのが見えた。ん?あれは・・・「カルトーシュカ(じゃがいも)?」とたずねると、「そうだ」というように手に持ったじゃがいもを見せた。
気づかなかったが門の横のぶどう棚の下にこの家の女主人らしき人が座っていて、僕を庭に招き入れてくれた。母娘と思われる女性たちが収穫したてのじゃがいもを袋詰めしている。ひとしきり写真を撮らせてもらったあと女主人に呼ばれた。

彼女は頭上からぶら下がるぶどうの房に手を伸ばし1房2房とビニール袋に入れる。最後に口を結んで「はい、おみやげ」と僕に手渡した。こんな感じでアルメニアでは一日歩き回ると何かしらフルーツのお土産が僕のバッグの中に入っていた。

田舎道でいろいろな住民に出会う。小さなガラス瓶を持った少女は、駄菓子屋で瓶の中にお菓子を入れてもらっていた。神父さんは教会の前で快く撮影に応じてくれた。赤ん坊を抱いた母親。洗車屋で絨毯を洗ってもらう女性。 若い女の子たちは休日のファッションに身を包んでいた。山から吹く風が肌寒く感じるようになった。アラベルジへの最終バスは午後3時半。バス停へと急ごう。


ここ数日で急に秋が深まった気がする。木々も一段と鮮やかに色づいてきた。精錬所のレンガ造りの建物の扉が開いていたので中に入ってみた。そこは工場ではなく集会場や展示ルームなどの施設棟のようだった。とはいえそれらの施設もまた稼働している様子はない。 大学の階段教室のような大ホールは工員のための劇場かな?埃の匂いがする。もう長い間使われていない感じ。最盛期にはどれほど活気があったのか?資料室のドアにも固く鍵がかけられていて知る由もない。
片隅の一室に人の気配を感じて覗いてみるとそこはトレーニングルームだった。地元の子供達がインストラクターにウェイトトレーニングの指導を受けていた。

アラベルジに滞在して気づいたことがある。この町の人は団地の窓やテラスからボーっと外を眺めている、そして僕に気がつくと笑顔で手を振る。カメラを向けると大体フレームに収まってくれる。もちろん、そっと窓を閉ざす人もいる。 とくにやることもなく、いつものように窓の外を眺める。さぞかし退屈だろうって?いや、僕はそういう余白だらけの生活が好きだ。さらに、窓の外に普段見かけないアジア人がいれば当然目配せの一つもするだろうな、たぶん。