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朝、窓の下から子どもたちの声が聞こえてきた。隣は小学校、新一年生らしき子どもたちが親に連れられて次々と登校してくる。まずは校舎の前で記念撮影。
たしかアルメニアの入学式は全国一斉に9月1日って聞いていたけれど・・・それから3週間たった今日は何の日だろう?子どもたちは親に手を引かれたまま校舎の中に入り階段を登って行く。

なんとなくアルメニアにおける学校と家庭の関係が見えたような気がした。日本なら新一年生とて親が自由に校舎に入り子供を教室まで送り届けることはないだろう。
少し過保護では、と思ったが、親としては自分の子供が仲間たちと仲良くやって行けそうなのか?どんな雰囲気のクラスなのか?というのは気になるところだ。なるほどこれなら子供を送りがてら親はそれを感じとることができる。

例えば子供の教育の8割が学校に任され2割が家庭というのが日本だとしたら、アルメニアは全く逆の比率のようにも感じられた。
幼い頃から集団の一員であることを強いられる日本の子供は同調圧力に弱く、 個を主張すればときに仲間外れにされたり、いじめられたりする。社会に出てからもそうだ。アルメニアの学校には「いじめ」がないというのもなんとなく頷ける気がする。って深読みしすぎか(笑)
さて、本日の活動を開始。


広場では果物や野菜の売り子がすでに店を広げている。小さな理髪店の窓から待客の男が手を振る。線路はもはや生活道路だ。ジョージアとアルメニアを結ぶ国際列車はわずかに1日1往復のみ。 肉屋のオヤジさんはしけた顔で午前中からビールを飲んでいる。ひまわりの種を売るおばさん。たしかこれ、おつまみになるんだっけ。

工場を一望できる高台に立つ。昨日にも増して好天のもと精錬所の全景が見渡せる。どの建物が何の役割を担うのか素人にはさっぱりわからないが、逆にさっぱりわからない物が並んでいると人は感動するものだ。 そして、ゴンドラは今日も空中に留まったまま。


ふと道端を見るとご当地の銅板に釘穴で「ハイキング」と書かれた案内板。実はアラベルジは工場見学の町ではない。周囲の山々にはアルメニア正教の古い教会や修道院が点在していて、それを巡るトレッキングが人気とのこと。 となれば世界遺産よりも銅山、という変わり者の僕も1つぐらいは見てみたい。

地図で調べると最も近いのは「サナイン修道院」らしい。ちょうど今いる場所から背後の岩山を登ったあたり。そうか、工場の脇から伸びるロープウェイの山頂駅がサナインか。しかし、この垂直に近い岩山をどうやって登ればいいのか? 通りすがりの人に聞いてみると「この山道をずーっと廻り込むのさ。でも7キロ位あるよ、歩けるの?」トホホ。それをショートカットするのがこのロープウェイだったのか。仕方なくマルシュルートカ(乗り合いバン)を使う。


車が山道を登り切るとそこには比較的広い平地があり別の町並みが広がっていた。それがアルメニアに来て初めての河岸段丘体験であった。現在川が流れている谷底がアラベルジ、そして一段上のテーブルがこのサナイン・・・ と思ったらここもアラベルジらしい。よくよく聞いてみると下は旧市街、上は新市街なのだそうだ。

下校途中の高校生の屈託のない笑顔は心を和ます。でも、街全体がなんとなく眠い。キノコのようなパラボラアンテナが古い団地からにょきにょき生えている。もしかしたらこの雰囲気、銅山の工場休止に関係あるのかもしれない。 例えばあの工場で働く人がたくさん住んでいるとか・・・そういえばロープウェイは町の端から工場に向かって真っ直ぐに下りている。なるほど、あれは観光用ではなく通勤用だったのか。

となると今度は「ロープウェイがなぜ止まってしまったのか?」が気になる。若者に聞いてみると「ケーブル火災があったんだ」と教えてくれた。それが本当だとしたら、あんな中途半端な所で止まったゴンドラに乗客はいなかったのだろうか? なんだか考えただけでもゾッとする。

観光の目玉、サナイン修道院は中央広場から田舎道をしばらく歩いた町外れにあった。ガイドがイタリア語で団体さんに何か説明している。こちらはある意味ふつうの観光地であった。さてと、下界に戻る時間だ。


夕暮れの旧市街の道路で子どもたちが遊んでいる。団地のテラスにはまだ布団が干されたまま。ん?布団?なかなか面白い発見だ。

発見といえば、団地の入口に肖像画入りのレリーフが埋め込まれているのをよく見かけた。最初は著名人の生家の案内板だと思った。しかし著名人の家にしては数が多い。団地のレリーフはアルメニアの他の街でも見かけた。
あくまで私見だが、その団地に住んでいた故人の家族が記念に残すようだ。物を寄贈する場合もあるようで「この水飲み場は俺の父親が残したものなんだぜ」ある青年は僕に自慢げに語った。