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新型コロナウイルスの日々



3年ぶりに日本の外へ出てみた (2022年12月)


南インドのタミルナドゥー州に行って参りました(笑)
何度も新型コロナのワクチンを接種しているのに日本に閉じこもっているというのはいわば「ワクチンの無駄」と考え・・いや、もう我慢できない、としびれを切らしての渡航。
それにしても、海外旅行を取り巻く環境はずいぶん厳しくなったものだ。航空運賃は値上がりし、円安が進み、経由地のシンガポールも、インドもワクチンの接種証明やオンラインによる健康問診票の提出を求められた。


とはいえ、3年の間に私の手元には撮影しなければならない場所の長い長いウェイティングリストができてしまい、その中から予算とコロナの流行状況を鑑みて決定した。 ちょうどシンガポールでのコロナの流行がピークを迎えた時で、5千人/日ほどの新規感染者が出ていた。 一方、googleのデータによればインドは一日千人ほどで「ほぼ、流行っていない」様子でひと安心。
ところが、シンガポールのチャンギ空港でインドのティルチラパッリ行きの便の待合席のインド人たちは激しくゴホゴホやっている。 日本のコロナ対策に慣れている身としてはすごく不安になる。
「食事以外の時はマスクを着用してください」と機内アナウンスが流れてもゴホゴホッ。みなマスクを持ってすらいないらしくCAが慌ててマスクを配り始める。 あれ?発表されているデータと実情はずいぶん違いそうだぞ(笑)


人口13億人、デルタ株で多数の死者を出したインドは欧米のワクチンに頼ってばかりもいられない。 そこで国産のワクチンを開発しワクチン外交も行った。インドのワクチン接種率は70%だそうだ。 ある人は舌をつきだすほどの咳をしながら私に言った「コロナ?そんなの過去の病気だよ。今インドではコロナなんて流行ってないんだよ」 「それじゃあ、あなたのその咳はいったい何ですか?」と突っ込みたくなるのをぐっとこらえた(笑) 日本の梅雨時のような雨季の南インドで、流行り風邪とは思えない数の人々がゴホゴホやっているのは、あまり気持ちの良いものではない。
しかし、日本のように医療崩壊が叫ばれるでもなく、救急車が走り回るでもなく、病院前はいたって平穏、自主隔離も実践されていない、盛大に咳やくしゃみをしながら人々はフツーに生活しているのだ。 自分もやがてそういう日常に慣れてしまった。
コロナの爪痕みたいなものは確かに残っている。 かつては使いまわされていたチャイのグラスが紙コップも選べるようになったとか・・コロナはインド人の生活様式にも影響を及ぼしたんだなぁ。


もちろん、用心深くマスクを着けている人もいる。全体の1割弱だろうか。インドは宗教上飲酒をしない人が大半だが夜の街は買い物客でごった返すのでマスク着用率も上がる。 私自身、滞在中は食事中とホテルの部屋以外はすべてマスクをしていた。あくまで私のポリシーであり、これに対してとやかく言う人は一人もいない。 おかげで「変な風邪」をひくこともなく無事旅程を終えることができた。
結論。インドではコロナはすでに克服された病気とみなされ対策は各自の自主性に任されている。 今ではPCR検査さえほとんど行われず、感染者の数さえ把握されていない。 さらに12月からインドの入国制限はさらに緩和されワクチンの接種証明すら必要なくなったという。 すなわちコロナによる入国制限は完全に撤廃されたことになる。


シンガポールは比較的水際対策の厳しい国の一つなのかもしれない。入国前2日以内の健康チェックを入国カードと一括でオンライン入力させられた。 サイトはシンガポール市民、ASEAN市民、外国人用に分かれており極めて明快。その結果、入国審査は極めて速やかで非接触が徹底されていた。
入国審査後、パスポートのスタンプの代わりに入国許可証がメールで送られてきた(笑)
空港も隣接モールの「Jewel」もまだ本調子とはいかないが多くの客でにぎわっている。 ほとんどの店舗がつぶれ、「シャッター通り」化している成田空港と対照的だ。
今回、私は街中に出ていないからわからないが、チャンギ空港と周辺のショッピング施設でマスクをしている人の割合はインドと同じ1割弱位だろうか。 インドと違うのは接客の店員はみなマスクをしているところだ。 接客業の店員はマスク、客はノーマスク。欧州の街角の映像を見ていても同様なのでこれが世界のコロナ対策のスタンダードかもしれない。


そして日本帰国、成田空港の入国検疫。この旅の中で最も修羅場と化していたのはここだ。 日本の検疫は今までMySOSという専用アプリとVisitJapanWebというサイトいずれかの入力という方式をとってきたそうだ。 (コロナの水際対策に汎用性のない専用アプリなんてものを使うこと自体デジタル後進国の体を露呈してしまっているが) その後、アプリを11月に停止、webサイトに一本化。WEB上で入国前にコロナ検疫にかかわる問診を自己申請する。
外国人乗降客は事前にオンライン申請し、七面倒くさい検疫、入国、税関の3つのQRコードを別々にダウンロード、スムーズに入国審査を抜けていっている。 引っかかっているのはむしろ私のような日本人のおっさん達。本来、海外からの乗客用に配置された外国人のヘルパーに「ややこしくて、わかんねえよ!」と怒号が飛び交う。
そもそも「VisitJapanWeb」なるサイト名が紛らわしいではないか。 日本人が日本に帰国するのにVisitJapanへのアクセスが必要だとは思わないだろう。そして、事前準備なしに検疫に来て止められるわけだ。


検疫ルームのパイプ椅子の背にはぶっきらぼうにQRコードの紙が貼りつけられており、それをスマホで読み込んでくれと案内される。 読み取ると例のサイトにつながり、健康状態から機乗地、便名、果ては座った座席の番号まで入力させられる。 はて?厚労省は未だに感染経路追跡をやっているのだろうか?座席欄を無記入にしようと思ったがそれでは画面が進まない。 飛行機で隣に座った日本旅行を楽しみにしている外国人観光客。彼らの顔を浮かべると、私がもし帰宅してコロナを発症しても絶対にPCR検査は受けまいと心に誓うのだった。 そんなことで連帯責任を取らされ旅をストップさせられるのはあまりにもかわいそうだから。 それにしても、座席番号なんてチェックインするまでわからない乗客がほとんどだろうに、みんないつ入力しているの?
入力が完了すると隣についている親切な外国人ヘルパーが最後に出たQRコード画面のスクリーンショットを撮れという。 「スクショの撮り方なんぞ知らん」と答えると、それなら画面を出したまま検疫係員のところへ行けとのこと。
係員はQRコードを目視しようやく検疫をパス。係員の目にはコードリーダーでもついているのだろうか? 結局、苦労して出したQRコードが何のためのものなのかわからず。ここでの作業は何もかもが謎(笑)
厚労省検疫所のチラシには「3密を避けるように」と記されているが成田の検疫ルームは人で溢れとんでもなく「密」でした。


旅を通して改めて新型コロナについて考えさせられた。私がインドで暮らしているならば多分マスクは着用しないだろう。 しかし、神経質に予防を行う理由は3つ。人と接する自分が媒体にならないため。さらに、体調を崩せば撮影のスケジュールが大幅に狂ってしまうから。 そしてもう一つはコロナに対する認識が国によって全く違うからだ。新型コロナはインドではただの風邪、日本ではいまだに大ごと、コロナと診断されれば生活がストップする。 この認識のギャップが埋まらないとビジネスでも観光でも旅行者は永遠に苦労するだろう。コロナは一国だけの問題ではないのだ。

中国のゼロコロナ政策の急激な方向転換を日本のマスコミが批判するが、日本のあいかわらずのコロナ政策について批判するマスコミは一つもない。 日本は現在、一日20万人の感染者を出す世界No1の感染大国であることは一切ニュースにならない。 もちろんGoogleのデータを鵜呑みにはできないけれど、これだけマスクをしろ、外出は控えろと厳しく国がなぜ感染者数世界一なのか? なぜ日本だけ医療がひっ迫するのか?なぜいつになっても死者の数が減らないのか?日本の政府はここのところをもう少し頭を使って考えた方がよいのではないだろうか? 客観的に見ればインドやシンガポールのコロナ政策は先進国のスタンダードに近いが、日本の政策はむしろ中国に近いと思う。
岸田首相はその中国からの入国者に対してのみPCR検査を義務付けるそうだ。理由は感染者急増と変異株対策とのこと。 しかし、感染者数なら日本の方がはるかに多いし、先日シンガポールで流行ったのも変異株だったはずだ。 斯様にまた政治をコロナに持ち込んで日本の水際対策は再び堂々巡りだ。

コロナが騒がれ始めてまる3年、もうそろそろ日本も出口戦略に向かわないと・・・ 敵基地攻撃能力を憲法の解釈をひん曲げてまで論ずる政府が、なぜコロナになると2類とか5類とか既存のカテゴリーに当てはめようとするのか? 私にはさっぱりわからない。問題はコロナなのに規則や医療のひっ迫を論じて時間だけが過ぎて行く。 いったいこの国はいつまで国民にこんな生活を強いるのだろうか?


ちなみに飛行機は、東京ーシンガポール線は満席、シンガポールーインド線もほぼ満席。 「GO TOキャンペーン」などやらなくても日本以外の世界は平常運転に戻りつつある。 もちろん、日本に閉じこもっていたらそれに気づくことさえできないだろう。




未来選択選挙だってさ(笑) (2021年10月)


自民党総裁選では安倍、菅政権の反省点に立つという立場の候補者が出てきたけれど、それも党の中の多様性を誇示するための衆院選に向けたいわば宣伝。いざ岸田政権が誕生してみれば各派閥に配慮し、過去に問題を起こし未解明のままの議員の再登用など、結局は安倍、菅政権の焼き直しでしかないことが露呈した。森友・加計問題も、河合議員に自民党から渡された1億5千万円も、桜を見る会も、日本学術会議の任命拒否も、真実が語られないまま勝手に幕が引かれそうだ。


岸田総理の所信表明演説を聞いてそれが確信できた。「新しい資本主義」というなんとも具体性に欠く言葉に始まったその演説では「成長の果実を国民に分配する」と語られた。アベノミクスの失敗とそれによる経済格差拡大を認め根本から政策の転換をする気概も感じられない。前政権の政策の成果を強調し、それに修正を加えていく程度がこの内閣の限界かもしれない。スタートからすでに限界が見えているところがなんとも悲しい。


幹の太い大樹にたわわに実った果実が落ちてその下の大地を富ますというシナリオは大きく崩れ、やせた大地に添え木でなんとか支えられている木にはやせ細った実しかならず、なかなか落ちてこない。見かねた新総理は無理やり果実をもぎり皆に分配するというなんともお寒いお話だ。重要なのは大地を富ますことではないのか?


総理は同じ所信表明演説の中でアフリカのことわざを引用した。「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければみんなで進め」はて?このことわざの真意は何なのだろう?また、このことわざが所信表明の内容とどう関係するのだろうか?そもそも「早く行きたい」と「遠くに行きたい」は対意になっていない。論理的に破綻している。「遠くまで早く行きたい」場合はだいたい何人ぐらいで行ったら良いんですか?


私なりにことわざを解釈すればこうだ。「早く行けるような近場なら一人でもたどり着けるが、遠くまでとなれば道中野垂れ死ぬ人が出てくるかもしれない。したがって大勢で進んで何人かがたどり着ければ良しとする」
考えてみればこれこそ小泉政権あたりから推し進められてきた弱者切り捨ての新自由主義そのものではないだろうか?コロナで多くの命が失われているのに外国に比べたら死者は少ないとコメントする政府の閣僚の意識そのものではなかろうか?


さて、衆院選だ。先日のNHKの世論調査では岸田内閣の支持率は46%。ご祝儀相場の平均からすれば低い方だそうだが、少なくとも私は支持率の高さに驚いた。安倍、菅政権の数々の問題点を首のすげ替えだけでイメチェンしようとする与党の策略に国民はまんまとのっかってしまっているような気がする。
国民から搾り取った金でお友達企業を潤わせ、逆らうものの首を切り、恫喝する。公文書は好きなように改ざんし、議事録は残さない。新型コロナ感染者数がどんなに深刻化しても絶対に国会は開かない。(ちなみに、私の選挙区の自民党の衆議院議員の街宣車は解散前から宣伝活動に躍起だった。国会議員の仕事は国会に出てなんぼだろう。この人の仕事は選挙運動なのだろうか?)政策の検証も行わない。こういう政府に対し何の憤りももたない。この国の国民はよほど寛容か、もしくはよほどのバカか。
Yahooニュースを偏りのないピックアップだと信じ、果たして「中の人」が書いてるかもわからない過激なコメント欄に共感し、御用ジャーナリストの言葉をうのみにする。自分が右寄りなのか左寄りなのかというおぼろげな自覚もない。
そういう人たちにとっては例えば岸田内閣を支持するかどうかは「総理の外見やプロフィール」に好印象を抱くかどうか程度なのかもしれない。


世の中は投票率を上げようと必死だが、こういった層の票が増えても手練手管を使ってイメージ戦略を行う与党の票が増えるだけだろう。コアな保守層、組織票の人々は黙ってても投票に行くだろうし、政権の腐敗にはらわた煮えたぎってる人たちもまた当然投票に行くだろうから。
私は先ほど「バカ」と書いたが「バカ」は幸せだ。悪政によって国民が搾取されているとも思わず、明日は今日より少しばかり暮らし向きが悪くなる程度だと信じている。政治を私物のように扱う国会議員が出ようとも「よくあることだ」と思えば不必要に血圧をあげることもない。「バカ」は実に健康的である。しかし「バカ」が多いと政治は確実に腐敗する。


「未来選択選挙」というのが自民党の衆議院選のスローガンだそうだ。まあ、選挙ってのはだいたい未来の選択でしょ、という突っ込みは置いといて。賢明な有権者のみなさん、安倍、菅政権が今までやってきたことをよく思い出して未来を選択したほうがいいですよ。(すみません次回はコロナに戻ります)





ワクチン接種証明書 (2021年9月)


保健所で海外渡航用の「ワクチン接種証明書」を発行してもらって来た。海外のニュースで見かける電子版ではなく私がもらったのは紙のものだ。
自治体発行のこの証明書にはワクチン種類と接種日時、ロット番号、発行者欄には署名の代わりに「自治体首長」「日本国厚生労働大臣」とだけタイプされている。
現在、日本政府との合意でこの証明書の有効性を認めている国はイタリア、フランス、インドネシア、トルコなど三十数か国にすぎない。外務省のHPによればその他の国とはまだ交渉中とのことだ。


発行してもらってこんなことをいうのも申し訳ないが、異国の入国審査で署名もないこの紙切れが果たしてどれほどの信頼性を持つのかはなはだ疑問だ。紙を握りしめて必死に入国審査官に訴え続ける自分の姿が脳裏をよぎる。紙だから風にでも飛ばされたらさあ大変。にっちもさっちも行かなくなる。証明書には偽造防止用の透かしが入っているそうだ。なんとなく「力の入れどころ」が間違っているような気がするのは私だけだろうか(笑)


政府は12月をめどに国内用のワクチンパスポートアプリをマイナンバーカードに紐付けて発行する方針だそうだ。
(なぜマイナンバーではなくマイナンバーカードなのか全く理解できないが)まあ、選択肢がないのをいいことに無理やり物事を押し付けるゴミのような官製アプリは無視するとしても「パスポートに紐付けた海外で通用するフォーマットの電子証明書」は自治体ではなく「国が」「責任を持って」「早急に」作るべきだ。何もかも地方自治体に丸投げしてきた政府のコロナ対策のつけはこういったところに回ってきている。


さて、仮に我が国のワクチン接種証明が有効だとして、これで晴れて自由の身、以前のように海外に行けるのだと思ったら大間違い。残念ながら世界はまだ新型コロナ禍の中である。
意外にも飛行機は飛んでいる。航空運賃はむしろ安くなっている。しかし、どの国も入国のハードルは高い。
厳しい水際対策をとっている国はいまだに完全に門を閉ざしているし、入国した人に14日間の無条件自主隔離を求めている国も多い。72時間以内のPCR検査の陰性証明を要求する国、ワクチンの接種証明を必要とする国・・・
とまあ、ただ一か国とて自由に海外との往来を許している国はない。予想したより現実は厳しかった。
不幸にも日本はワクチン接種の有無にかかわらず入国者に対して無条件で14日の自主隔離を求めており、帰国後は公共交通機関での帰宅不可、その後2週間家に閉じこもるということになる。


ワクチンを接種し、陰性証明書を持ち万全の感染対策をして旅行することはできるかもしれない。閉ざされたバブルの中で自分たちだけで休日を楽しんだり特定の人を相手にビジネスをする旅なら。
しかし、私のように現地の人とオープンにコミュニケーションをとらなければならないとなると話は違ってくる。
人々がマスクを着用し、感染者数が多数出てくる国へ行き、自分はワクチンを打っているからといって彼らの写真を撮れるだろうか?自問自答する。一日も早くワクチンを希望する世界の人々が規定回数の接種を終えられるよう、コロナ禍の陰鬱から抜け出せるよう心から願っている。


さんざんワクチン接種証明書の悪口をたたいて来たけれど最後に一つだけ。証明書の出来はともかくとして、一年以上前からここに書いてきた新型コロナワクチンを8月に接種完了できたことには本当に満足している。毎日毎日、シリンジを持ち接種を続けるわが街のお医者さんたちには頭が下がる思いだ。途中で方針転換をすることなく「年齢の高い人から」という接種順位を最後まで貫き通した自治体の判断も正しかったと思う。
ワクチンがコロナ禍のゲームチェンジャーになり得たかどうかはいずれデータが証明することだが、少なくともワクチン接種によって私の心持ちは大きく変わった。もし、日本のワクチン接種が遅々として進んでいなかったら、私は世界地図を広げる気にもならなかっただろう。




自粛が足りません (2021年5月)


ニ年目の自粛GWが始まった。一年経っても行政の新型コロナへの対応には全く「経験値」が感じられない。政府も地方自治体も科学的な根拠に基づいた積極的なコロナ対策を打つことなく、直ぐに白旗をあげて国民への「お願い」や「注意喚起」に走る。そもそも、お願いに至るまでの対策こそが行政の仕事なのに。ましてや「お願いしても自粛しなかった人たちに罰則を加える」などというのはまったくおかしな話で、そんなことが許されるなら無策によって緊急事態宣言に至らしめてしまった行政を罰する法律もつくるべきだろう。そうでもしないとこの国のコロナ対策はいつまでも国民に対する自粛の呼びかけに終始。感染が下火になれば手柄は行政側にごっそり持って行かれ、感染者が増えれば「国民の自粛が足りない」と上から目線で酷評されるだけだ。


一年前私がここに何を書いたのか読み返してみた。大阪モデル、日本モデル、東京アラート・・・空虚なネーミングが並ぶ。そういえば緊急事態宣言中に自宅でくつろぐ動画をアップした首相もいた。その首相は宣言解除後にブルーインパルスの航空ショーを見てご満悦だった。小さな布マスクが国民の生活補償の第一弾として配られ、昨日までは聞いたこともなかった「医療従事者に感謝」といういわば「外国の真似」のスローガンがレインボーブリッジや通天閣の照明の色を変えた。そうかと思えば今回の緊急事態宣言では街の明かりを消せという。いったいこの国は何をやっているのだろうか?


「緊急事態宣言が解除になったからといって平時のモニタリング(PCR検査)を怠ると再び流行に火がつき、気づかないうちに第二波の火の手が広がっていたということになるだろう」そんなことも書いてある。予想通り第二波が来て、日本は今第四波に飲み込まれている。しかし、人口100万人あたりのPCR検査数は未だに世界145位。GWを前に東京の主要駅には帰省のためにPCR検査を自費で受けようとする人の長い行列ができたというニュースが報じられた。無能な行政の代わりに自腹を切って検査を受ける人々の健気さに涙が出る。その通り、闇雲に人の行動を制限するよりも検査を徹底させるほうがよっぽど合理的なのだ。感染者との接触機会を減らす意味の社会的距離政策こそ本来行政がなすべき仕事である。


私の住んでいる街では緊急事態宣言が発せられると、防災無線で1日2回騒々しく「外出を控えるように」という分かりきった内容の放送が流れる。さらに与野党に関わらず各政党の広報車がスピーカーから「外出を控えるように」とけたたましく走り回る。テレビを点ければ「医療が逼迫しているから自粛しろ」「私も打ったからあなたもワクチンをどうぞ」とCMが流れる。「どうぞって(笑)打ってくれるならすぐにでも打って欲しいわ!」と言いたくなる。冗談はさておき、我が国の行政は斯様に本来の職務を放棄してこうした啓蒙活動に終始している。


啓蒙活動は政府や自治体に限ったことではない。分科会は科学的な見地から政府に対して客観的に最善の策を進言するグループだと思っていた。ところが、蓋を開けてみれば政府に日和って非科学的な言葉で政策にお墨付きを与えるだけ。医師会は医療体制を守るために現場の声を汲み上げ政府に物言う会だと思ったら、実は国民を厳しく監督する会であった。(医師会と名のつくグループがいくつあるか知らないが、少なくとも医療現場の本意はこれらの会のトップとは全く別のところにありそうだ)日本が誇るスーパーコンピューターの「富嶽」は毎回飛沫のシミュレーションばかり。ワクチンの詳細な接種計画など積極的な抑え込みの武器になりそうなのに。そのスパコンまでもが「マスクをしましょう」と我々に対する啓蒙に使われている。


もうこれ以上削るところなどない位に我慢を強いられている私達国民に対して、「気の緩み」とか「自粛慣れ」などとあたかもウィルスのまん延は国民のせいだというような行政やマスコミに対して、なぜ人々は怒らないのかと不思議に思う。だからといってマスクを外して抗議しろというわけではない。ただ、このコロナ禍の中で「誰が」「何を」言い「何をしたか」「その結果どうなったか」はしっかりと記憶しておくべきだろう。審判を下せる日が来たときその記憶を辿れるように。



さて、後半はいつものようにワクチンの話。
感染拡大当初から日本のコロナ対策の甘さを訴えていた識者はなぜかメディアから姿を消し、代わりに露出してきのは「コロナよりインフルエンザや交通事故で死ぬ人の方が多い」という持論を展開していたコメンテーターだ。この人は「検査数を増やすと医療崩壊を招く」ともコメントしていた。やがて「どこの病院でもコロナの患者を受け入れるようにすべきだ」と言い出し。最近は「感染が流行している都市部から優先的にワクチン接種を行うべきだ」と主張している。この人の意見に総じて言えることは「短絡的、非常に乱暴で利己的」であるということだ。感染者が多い都市に優先的に回せというのは都会に住んでいる人間のエゴでしかない。日本には都会に住む人も田舎に住む人もいる。若者もいれば高齢者もいる。皆同じように首を長くしてワクチン接種を待っている。


このような声を受けてか河野行政改革担当大臣は東京、大阪では自治体の接種とは別枠で国主導の大規模接種を行う方針を明らかにした。また、同氏は余った自治体接種ではワクチンの無駄が出ないように年齢や市内市外在住を問わず接種するように指示。接種者の名前と住所を記録しておけばOKだそうだ(笑)一方、田村厚労大臣は「高齢者の接種が終わらなくても7月中に基礎疾患のある一般の接種を始める可能性がある」と言及。案の定といった感じ。スピード感の演出。残念なのは実速度ではなくあくまでも「スピード感」であり、「演出」であるというところだ。


複数の政治家がそれぞれの見通しを発表し、確定情報は何だろうか?今日までの実績はどこに公表されているのだろうか?「あの話」はいったいどうなってしまったのだろうか?というのが多すぎる。医療従事者のワクチン接種完了を待たずして高齢者の接種が始まった翌日、新聞には政府の「新型コロナワクチン接種スケジュール」というのが載っていた。この表があまりにもいい加減だったので思わず笑ってしまった。「医療従事者2月17日接種スタート、5月中旬全員分配送完了見込み、以後ムニャムニャ・・・」「高齢者4月12日接種開始。6月末全員分配送完了見込み、以後ムニャムニャ・・・」「一般開始時期未定(離島など一部地域では4月から)」
まずおかしいのは「ワクチン接種スケジュール」なのに開始の日付しか入っていないこと。しかも先行接種の日付だけは異様に強調されている。一方で接種完了の時期には一言も触れられていない。それどころか途中で「ワクチン配送スケジュール」にすり替わっている。もちろん意図的なものだろう。


先月訪米した菅首相がファイザー社からのワクチン追加供給要請を伝えるNHKのニュースはこうだ。「今年9月までに国内の対象者に必要なワクチンの追加供給を受けるめどが立ったという見通しを示しました」修飾語が多過ぎてボケボケだ。「今年9月までに」9月まで安定的に毎週、毎月供給されるのか、9月末までには間に合わせるという意味なのか不明確。「国内の対象者に必要なワクチン」国内の対象者をファイザーのみでまかなえる数のワクチンなのか、ファイザー接種予定者に必要な数のワクチンなのか不明。「追加供給を受ける」何に対しての追加供給なのか?もともとの発注状況が国民にはまったく知らされていない。「めどがたった」なんじゃい、目処がたっただけかい。ここまでボカせば十分だろうと思ったら、さらに用心深く「という見通しを示しました」とNHKの記事がアシストしている。これほど具体性を欠いたものは首相の談話にふさわしくないものだし、ニュースの記事にもできないレベルだ。ワクチンに関してはモデルナ社製のものが日本に入って来たらしい。あれ?ファイザーの追加供給で必要量揃ったんじゃないの?とまあ、こういうところが我々の政府に対する不信感をさらに増幅させる。さらに付け加えればワクチンは接種して初めて効果がある。


最後に世界のワクチン接種の近況を書いておこう。
米ブルームバーグのサイトによれば、4月30日現在ワクチン接種は世界174ヵ国で行われている。島国を除いて接種率(規定回数接種し免疫を持った人の割合と、少なくとも1回接種した人の割合の中間値)トップはイスラエルで57.9%。米国は37.0%。人口に応じてワクチンを公平配分しているEU諸国はおしなべて17%程度。感染再拡大に悩むインドは5.6%。日本は1.3%で世界で110位、アジアではラオスと並んで17位。これが日本政府が接種スピードアップに躍起になっている理由だ。菅首相は「7月末までの3ヶ月で医療従事者と高齢者7838万回の接種を完了させたい」との「願望」を明らかにした。私のスパコン「百均電卓」によると、そのためには平日休日を問わず今日から毎日87万回の接種を行わなければならない。ちなみに現在その数字を超えるのは中国、米国、インド、ブラジルの4ヵ国しかない。逆に今の接種ペース(一日15万回)を続けていると医療従事者と高齢者の接種が完了するのに1年半かかる。せっかく「確保」したワクチンを腐らせることがないよう切に願う。



現状報告が全く無い日本のワクチン接種の不思議 (2021年4月)


緊急事態宣言が解除になったと思ったら今度はまん延防止措置だそうだ。
前回同様、米ブルームバーグの数字を元に新型コロナワクチンの進捗状況を見てみる。4月10日現在接種は世界154カ国で行われている。主な国のワクチン接種率はイスラエルが全人口のおよそ56.5%、UAE41.5%、チリ30.8%、英国28.8%、米国27.7%。一方、日本のワクチン接種率は人口の0.6%で154ヵ国中101位にとどまっている。これはジンバブエ、北マケドニア、チュニジアと同レベルだ。


接種回数だけでいえば累計160万回で38位だからまあまあといったところだが、それでもアジアではネパールに次ぐ7番目。人口が多い故、打っても打っても接種率が上がらない中国、インド、インドネシア、バングラデシュでさえ接種回数も接種率も日本より上だ。
日本の1日の接種回数は7万回と上がって来てはいるものの、これもまだ中南米や東欧の国と同程度である。ドイツやインドネシアは日本のおよそ5、6倍の数を日々こなしているし、ブラジルは10倍、アメリカは40倍、インドは50倍、中国は60倍の接種を毎日行っている。


なにより問題なのはこうした国内外のワクチン接種の進捗状況、具体的な数字が日本では全く伝えられていないということだ。おそらく大多数の日本人は日本よりカンボジアの方がワクチン接種が進んでいるという事実を知らないであろう。福島の原発事故の放射能もそうだった。PCR検査数もそうだった。私達はなぜ日本の現状を客観的なデータで知るために海外のメディアに頼らなければならないのだろうか。


日本政府はワクチン接種の予定は発表するが実績は発表しない。日本のメディアもそこを掘り下げない。ワクチンを担当する河野大臣は4月12日から一部の高齢者のワクチン接種を開始し、6月末までにはすべての高齢者2回分のワクチンを確保できると発表した。しかし、その一方で分科学会の尾身会長は「高齢者にワクチンが行き渡る6月までが正念場」と語る。「6月中に高齢者分のワクチンが調達できる目処がたった」のと「6月に接種が完了する」のとではとんでもない認識のズレがある。少なくとも供給の目処がたったのなら接種のスケジュールと完了の時期をきちんと示すべきだろう。しかし、おそらく政府はこう逃げるだろう。「接種の進度は各自治体の体制次第だ」と。


そもそも政府は医療従事者380万人に対して優先接種をするとしていた。これはすなわち760万回の接種を意味するが、今日までに実際に行われた接種は160万回に過ぎない。2ヶ月かけて予定の2割しか接種が進んでいない。ところが4月12日に高齢者の先行接種の予定をねじ込んできた。しかも、わずか数万人の規模で自治体によっては先着順のところもあるという。こうなると優先順位の話はなんだったのかということになりかねない。5月以降は同時進行で進めるということなのだろうか?


接種の対象となる65歳以上の高齢者の数は3600万人。7200万回の接種が必要になる。さらに医療関係者への接種がまだ600万回残っている。合計7800万回。これは今までEUが打ってきたワクチンの接種回数に匹敵する。仮に1日の接種回数をドイツ並みの45万回に増やしても173日、半年かかる計算だ。到底6月中に高齢者にワクチンが行き渡ることなどあるはずがなく、6月中になんとか揃う高齢者向けワクチンを今夏中に打ち終わるかどうかすら疑問である。下手をすれば今年いっぱいかかる。


ここからは私の予想。やがて一般の人々から「ワクチンはまだか」という突き上げが厳しくなる。秋の衆院選の前に先着順で一部一般の接種の受付を開始する。家を作るのには土台の完成が必要で次に骨格を作り、屋根を載せ、内装工事を行うものだ。「やっている感」を出したいからといって、基礎工事が終わらないうちに骨組みを作り始め屋根を載せたらどうなるかまあ結末は容易に予想できる。次々と新しい風呂敷が広げられ、高齢者の後「その他一般」という大雑把な括りで半年以上かけてワクチンを接種するようなことにでもなれば「打った者」と「打たざる者」の格差が大問題になるだろう。ついにはワクチン争奪戦になりマスク不足と同様になる。そのころ世界の大半の国々では接種が完了し集団免疫を得ている。まあそんなところだろうか。

訂正:接種対象医療従事者の数は380万人ではなく480万人でした


世界で進むワクチン接種 (2021年2月)


米ブルームバーグのサイトによれば、2月12日現在世界196カ国のうち約4割にあたる76カ国でワクチン接種が行われている。一番接種が進んでいるのがイスラエルで実に国民の68.02%が1回目の接種を終えている。また、そのうち26.5%の人が2回目の接種も終えている。接種のペースの速さにも驚かされる。イスラエルはユダヤ人のネットワークを活かし、ネタニヤフ首相自らファイザー・ビオンテック社のトップと掛け合ってワクチンの早期確保に走ったそうだ。日本の政治家を見ているとその行動力は少しばかり羨ましいが、一方で「我先に」と囲い込むやり方はイスラエル的。同じような割合でパレスチナ自治区の人々がワクチンを接種できているかもわからない。ともかく、この国の前例はある意味壮大な治験データとして残るわけだから非常に有用だ。現在ロックダウン中のイスラエルは今でも毎日2千人から4千人の新規感染者が出ている。国民の7割がまずは1回目のワクチン接種を終えたときに劇的に改善するのか否か、もうまもなくその結果が出る。
少なくとも1回の接種を受けた人の割合でいくと2位はセイシェル、3位UAE、4位英国、5位バーレーンと続く。欧米の国々だけではなく中東でもアジアでも中南米でもすでにワクチンの接種は開始されている。


以前、このサイトには各社のワクチンがどこの国からどれだけ発注されているかのデータが載っていた。現在は削除されてしまったので記憶をたどると、欧米の国々は人口の2倍3倍をカバーするワクチンを発注していた。また、日本もファイザー、モデルナ、アストラゼネカ・オックスフォードに人口の120%をカバーする量を発注済みとなっていた。しかし、何をもって「確保済み、契約済み」とするかというのはあまりにもあやふやで、その辺がデータが削除されてしまった理由かもしれない。
また、ファイザー・ビオンテックのように運搬・管理にコストがかかりそうなワクチンがEU諸国や北米、日本と契約される一方、ロシアのガマレヤや中国のシノファームなど安価で有効なワクチンは発展途上国や両国に政治的に関わりが強い国から契約されている。経済格差からワクチンの供給に偏りが生じないように、貧しい国々にも同じように供給されるよう国際的な枠組み作りが取りざたされているが、その役割の一部をロシアや中国のワクチンが担うのに何の不都合があるだろうか?
ブルームバーグを始めとする海外のメディアには偏りなしに各国のワクチンの有効率が載っている。日本では欧米のワクチンのアジア人に対する治験の少なさが不安視されているが、それなら中国のワクチンを輸入すれば良いではないか。我々と同じ東アジア人の治験は山程行われている。
世界の新型コロナ対策はすでにワクチン接種の局面に入っており。先に書いたように世界の3分の1強の国々で接種が始まっていること。アジアで感染者数第3位の日本のワクチン接種が遅れている一方、インドとインドネシアの上位2国のほかシンガポール、中国、ネパール、スリランカなどの国々では接種が始まっていること。どのワクチンが承認されどれくらいの有効率があるのか。そういったことを全く知らされず、副反応が出たとか、中露のワクチンは信頼性に劣るとか、変異種に効くとか効かないとか、メディアからそんな断片的な情報しか得られない日本の国民は不幸だ。


日本のワクチン接種は斯様に五里霧中である。菅首相は、当初2月下旬からといわれていた一部の医療関係者への接種を2月中旬に前倒しすると発表した。しかし開始されるのは国立病院などの一部医療関係者1万人に対してで、とりあえず接種を開始したという既成事実を作るためだろう。ちなみに、米国は4500万回、中国は3000万回、インドは600万回の接種をすでに終えている。日本は周回遅れどころかゼロ3つ分ぐらい遅れている。
一般医療関係者に対しては未だに詳しい接種日程も知らされていない。その一方、ワクチン担当の河野規制改革相は高齢者への接種は早くて4月1日以降だとしている。ファイザーは今年中に日本の人口の7割をカバーするだけのワクチンを約束しているそうだが供給体制も不透明である。そうこうしているうちに、このマイナス70度管理、輸送中振動ご法度、というこの激ムズワクチンではないアストラゼネカとモデルナは日本国内生産による供給を決めた。こうなると、慌ててファイザーを主幹ワクチンに選択したことが脱コロナへの近道かどうかさえ疑問に思えてくる。穿った見方をすれば、国内の冷凍庫、ロジスティックメーカーを潤わせるためにこのワクチンにしたのかもしれない。なぜこのワクチンを選んだのか、厚労省は脱コロナを達成してからでよいから理由をきちんと説明してほしい。
そのファイザーのワクチンを巡って新たな日本政府のミスが判明した。日本で使われている注射器(シリンジ)がわずかにロスが出るような形状になっており。1瓶6回分入りのワクチンが5回分にしかならないというもの。スーパーで6人前の「鍋の素」を買ってきたが、ウチの盛り方で配分したら5人前にしかならなかった(泣)鍋だったら一人分をケチることで対応できるが。ワクチンではそうはいかない。まさに素人レベルのポカミス。ものを買うときはスペックシートを調べるものだ。なんでも杓子定規で机上の計算ばかりして、その割に肝心なところが抜けている。例によって泣き笑いの日本喜劇の始まりである。


結局、我々一般の人々がワクチンを打てるのはいつなのだろう?首相はきちっと固まり次第知らせるとコメントしたが、これから先どれくらいの期間で脱コロナを達成していくのかそのスケジュールはきちんと示すべきだ。予定が変わるのは百も承知。その時々で訂正を加えればよい。スケジュール表がないのに変更点ばかりを発表されても混乱するばかりだ。どの情報が生きているのか、どの情報が単なる憶測なのか・・
私自身はとにかく一刻も早くワクチンを打ちたい。ロシアのスプートニクVでも良い。新型コロナという大きなストレスの固まりが取り除かれるだけでどんなに清々するだろう。このまま補償もなく日本にいつまでも監禁されることは自分にはとてつもない痛手だ。人間は例外なく一年にひとつ歳をとる。不本意に月日が流れ、緊急事態宣言下で日課の運動もできず、体調を崩しこの一年で何度か病院に通った。中年の私でそうなのだから。高齢者はもっと気の毒だ。歳をとるにつれ1年は早くなり、貴重になる。政治を行う者はよく肝に命じて欲しい。あなた方のコロナ対策の失敗は国民の大切な時間を奪っているのだと。


最後にもうひとつ。ワクチン接種促進のために前述の河野大臣がまっさきに接種を受けるとの趣旨の発言をしていたが、ぜひそれはやめていただきたい。接種が遅れている日本でワクチンを待ちわびている人達はたくさんいる。皆がワクチン接種に後ろ向きではない。各国の元首の接種の様子を見てかこの人はなにか勘違いをしているようだ。今必要なのは1ドースでも多く政府の要人にではなく「国民」にワクチンを行き渡らせることだろう。

訂正:ブルームバーグ、主な国のメーカー別ワクチン契約状況は他ページに移動掲載中でした。



私の精神安定剤 (2021年1月)


前回、新型コロナのことを書いてから7ヶ月。中国の武漢で最初の感染が報告されてからはすでに1年。それだけの月日が流れても未だ世界はコロナ禍の只中である。
一方、以前述べたようにワクチン開発の世界では普通なら数年かかる行程を数分の一に縮めるべく熾烈な競争が繰り広げられている。その進捗状況を極めてわかりやすくまとめているのがニューヨーク・タイムズ紙のCronavirus Vaccine Trackerというサイトだ。私のように何の具体的な見通しも示されず、ひたすら自粛のみを要請され、その日その日をなんとかしのいでいる人間にはこのサイトの情報は最良の精神安定剤である。


すでにいくつかのワクチンは完全承認がなされ接種が始まっている。同サイトによれば完全使用が認められたワクチンは2021年1月9日現在3つ。ファイザー・ビオンテック(米・独)と モデルナ(米)はカナダなどで承認。シノファーム社(中)は中国の他UAE、バーレーンなど中東の国々で承認されている。このうちPBとモデルナのワクチンは(以前ここに書いただろうか)核に新型コロナのRNA情報(mRNA)を埋め込んだものを接種し抗体を形成させる遺伝子タイプ。一方、シノファームは従来のように実際のウイルスを弱毒化・無毒化させたものである。前二者は95%前後の高い有効性を謳っているが人類初の遺伝子ワクチンであるうえに低温管理が必要とする。特にPB社製はマイナス70度での保管が必要。シノファームは有効率79.34%(UAEの発表では86%)とやや劣るものの従来型のワクチンだけに経験値や管理という点ではアドバンテージがあるかもしれない。このほか開発中のワクチンの中にはウイルスベクターや新型コロナウイルスに含まれるタンパク質を接種し抗体を形成させるものもある。


それに続いて緊急・限定的に使用が許可されたワクチンが7つ。ロシアはガマレヤなど2社、英・スウェーデンのアストラゼネカ、中国はカンシノなど3社、インドのバラットバイオテックである。サイトによればここまでが現段階での先頭グループ。その後にも続々と各国の開発チームが走っている。フェーズ3(数千人規模の最終治験)に臨んでいるメーカーが20社、フェーズ2(数百人規模の治験)も同じく20社、フェーズ1(免疫システムに作用するかどうか初期段階の研究)が43社。
これには アメリカや欧州、中国、ロシアばかりでなく、この中にはインド、台湾、カザフスタン、キューバ、韓国、日本などの企業も含まれる。ワクチン開発のノウハウは今や多くの国々が持っており、開発費をつぎ込めさえすればどの企業にもチャンスはあるということがよく分かる。「低コストで確実に数を確保するために、できれば国産のワクチンを」という気持ちはどこの国も同じなようだ。ただ、一刻一秒を争う今の感染状況のなかで、国産のワクチンができるまで待つというわけにはなかなかいかない。ちなみに、日本のメーカーでは大阪大学と宝バイオのアンジェスが12月からフェーズ2と3の合同治験に入っている。一方、製薬大手のシオノギ、国立感染研究所、九州大学のグループは同じく12月にフェーズ1・2の治験に入ったばかりだ。国産ワクチンが出来上がるのは早くても半年後位ではないだろうか。


素人ながらこのNYタイムズのサイトを見て気づくことは最終治験以上のどのワクチンも80%以上の高い有効率を示しているということだ。医学の専門家ならすべての有力ワクチンを同じテーブルの上にならべて平等に吟味するところだが、ワクチンを選定確保するのは政治家である。日本がアメリカのワクチンを差し置いて中国のワクチンを発注することはないだろうし、逆に中東の国々がこぞって中国のワクチンを発注しているというのも政治的な匂いがぷんぷんする。
その点で一抹の不安がよぎる。誰も使わないあべのマスクに450億円を投じ、Go to Travelを勇み足で始めたもののいきなり中止したり、やることなすこと失策ばかりの我が国の政府はワクチン確保でも失態を晒すのではないかという不安だ。
日本が発注しているワクチンの一つ、ファイザー・ビオンテックは前述のように超低温管理が必要。ちなみにマイナス70度という扱いにくい超低温保存が必要なのはこのワクチンだけ。他はせいぜいマイナス20度程度の冷凍保存か、冷蔵保存、中には常温保存を謳っているものまである。確保を焦ったばかりに難しいワクチンを選択してしまったような気がするのは私だけだろうか。加えてこの世界一番乗りのワクチンはどれほどのバックオーダーを抱えているのかわからない。途中で多大なキャンセル料を払って他のワクチンに乗り換えるということにならなければ良いけれど・・・


そこで昨年12月に気になった記事を読んだので最後に紹介する。
イギリスの医療調査会社が集団免疫を持つレベルまでワクチン接種が進むいわゆる「脱コロナ」の時期をワクチンの調達状況に照らして予想している。それによれば、アメリカ2021年4月、イギリス同7月、EU同9月、日本は来年(2022年)の4月だそうだ。私達はもうひと冬ワクチン無しで越さなければならないのだろうか?実際、接種が始まった米政府は接種の遅れにより脱コロナは今年9月ごろになりそうだと早くも下方修正。英国政府も脱コロナまでは今年いっぱいかかるだろうと発表している。
そんな中、日本の政府は脱コロナまでのスケジュールを示さないばかりか、ワクチン接種の開始時期さえ明確にしていない。2月の下旬から開始したいというのはあくまでも希望である。ワクチンの供給は政府の都合ではなく供給メーカーの都合で決まる。そう考えると日本の脱コロナは来年という分析も当たらずしも遠からずという気がしてくる。



目盛りのないグラフ (2020年6月)


首都圏の緊急事態宣言が明けて3週間が経った。
サッカーJリーグは選手と関係者2千件のPCR検査を2週間毎に行うことを前提に7月4日無観客でリーグを再開。プロ野球も月に一度検査を行いつつ遅い開幕を迎えるという。前回、韓国やドイツの例を見て「正直、日本では全員検査は難しいだろう」と思っていたので少々驚いた。
高額な検査費用をリーグやクラブが支払うとはいえ、サッカーや野球の選手だけが頻繁に検査を受けるというのは不公平だという声もあるようだ。しかし、そうやって妬み嫉みで足を引っ張るのは日本人の悪い癖で、一般の人たちも必要があれば簡便に同じような検査を受けられるようにしていかないといけない。そうでないと検査数が異様に少ないという日本の新型コロナ対策の現状は一向に改善されない。


前回紹介したworldometersによれば、日本の人口100万人当たりの検査数は2600件。世界154位でアフリカのザンビアや南米のガイアナと同じレベルである。アジアではバングラデシュやベトナムにも及ばない。
北九州市の感染拡大に伴うPCR検査では陽性者の中で症状がある患者とほぼ同数の無症状者がいたそうだ。無症状の陽性判明者が急に増えた理由は、5月末にようやく無症状の濃厚接触者も(全国的に)検査対象になったから。それまでは家族から感染者が出ても症状がなければ健康観察のみで検査さえ受けられなかった。
これから推測すると日本の新型コロナによる死者数も怪しくなってくる。検査されずに死亡すればコロナの死者の数にはカウントされていない。日本の100万人当たりの新型コロナによる死者数は7人、少ないほうから数えて世界108位。これでも決して自慢できる数字ではないが、実際に2倍感染者がいたとすれば死者数14人、世界130位。いったいこれのどこが「奇跡」だというのだろう?これを称して「日本モデル」というのは笑止千万だ。


思えば2月のダイヤモンド・プリンセスから今まで、私達は何一つ科学的なデータに基づく対策の青写真を説明されていないことに気づく。示されたのは「目盛りのないグラフ」と「安易に用いられる強い言葉」、そして「大げさなパフォーマンス」ばかりだった。
目盛りのない波線グラフを首相が示して「この急激な患者増加の山をできるだけなだらかにし、医療崩壊を防ぐために学校を休みにする」と会見、「今が瀬戸際」と発言すれば、我が国の新型コロナの専門家は「ギリギリ踏みとどまっている状態」と子供だましのようなコメントを出す。首相は常々「専門家の意見を聞いて結論を出す」としてきたが、専門家会議の議事録すら残っていないのでは結論に至った経緯が全くわからない。
コロナ渦の中、言葉はタダとばかりに重い言葉が安易に使われてきた。「正しく恐れよ」NHKをはじめ多くのメディアがそんな言葉を投げかけた。しかし正体がわからないから新型ウィルスなのだ。災害時の「ただちに命を守る行動をとってください」「今ままでに経験したことのない」もさることながら日本のメディアはいつからこんな禅問答のような注意喚起を行うようになったのだろうか。「命」なんてドキッとする言葉が湯水のように使われる。メディアも行政も「言葉の威」を借りて「言った」という既成事実を作ろうとしているのかもしれない。
「大切なひとの命を守るために今はステイホーム」ここでも実に安く「命」という言葉が使われている。キャンペーンにのっかるように一国の首相がプライベートのひとときの動画を投稿している。例えるなら、緊急着陸を余儀なくされた飛行機の機内。「低く頭を下げる安全姿勢をとってください」というアナウンスが流れている最中に、ふと自分の隣の席を見たら機長が安全姿勢をとっている。私ならゾッとする。やってる感をアピールしてきた首相が実に重大なところで、うっかりやってない感をアピールしてしまった。
この「やってる感」をアピールしようと首相や一部の行政のトップたちは躍起になっていた。「大阪モデル」とか「東京アラート」とか相変わらず名前だけは立派だ。最近の都知事の会見によれば状況が変わったので今後「東京アラート」の発出はないそうである。初期対応に失敗した挙げ句、派手な演出だけが目立ち、橋のライトの色を変えたかと思えば。病人が眠る大都市の上空で戦闘機がパフォーマンスをする。なんとも落ち着きのない国だ。
いつしか「行政の長の好き勝手に国民のオンオフスイッチを切り替えられてたまるか!」そう思うようになった。私達は1ヶ月以上にわたって「自粛」を行ってきた。その間に行政は何か一つでも能動的なコロナ対策をやってきただろうか?


今後も感染の火種は日本全国で燻り続け何かの拍子に火がつく。その繰り返しだろう。国民の健康に対する平時のモニタリングの数も増やさない。検査のふるいにもかけない。その上で「第二波に備えることが肝心」と先のことばかり論じているとあっという間に種火は燃え広がり、「波」と感じるその頃には再び手遅れとなるかもしれない。
まあしかし、私自身長引く新型コロナ渦で心身ともにヘトヘト。世界のメディアに目を通しても最近はコロナから他のニュースに話題が移りつつある。今にも泣き出しそうな曇り空の下、日常を営むために世界はとりあえず重い車輪を回し始めた。そして、車輪の重さにはその国が今まで行ってきた積極的な感染対策の成否によってかなり大きな差があるような気がする。



ふたたび世界を旅できるのは一体いつになるのか? (2020年5月)


新型コロナへの感染から完治までを仮に4週間とするなら、時間停止光線で人間の行動を4週間フリーズさせれば理論的には社会からウイルスはほぼ消える。新しい寄生先がなければウイルスは人間の体の中で抗体によって滅ぼされるか、体とともに滅びるか、のどちらかしかないから。しかし残念ながら、そんなSFもどきの時間停止光線は存在しない。
そこで「人との接触を何割減らしましょう」とか「人との距離を取りましょう」という社会的距離戦略が出てくるわけだ。それでもなお、外出禁止や自粛で人的接触を8割、9割減らすことは不可能と言ってよいだろう。では、未知のウイルスに次から次へと飛び移る機会を与え続けてもう打つ手がないのか?


ここで別の角度から感染の実態を見てみる。私達は人との接触で感染の危険にさらされるのではなく、実は感染者との接触で感染の危険にさらされるのだ。社会全体で人との接触を8割減らすのは至難の技だが感染者との接触の機会を8割減らすことは可能かもしれない。そのための必須条件は「的確な導線」と「大規模な検査」そして「隔離」だ。

新型コロナウイルスは無症状の感染者もいる。すべての感染者をあぶり出すには全数検査しかない。もしそれが可能で完全な隔離が行われれば。感染は根っこから封じ込めることができる。
しかし、さすがに国民全員の検査は無理。だとすれば、せめて症状のある人がコロナが疑われる患者専用の病院で診察を受け、医師が必要と判断すれば必ず検査が受けられ、陽性ならば隔離される。さらに、すべての濃厚接触者も同じように検査を受ける。これが徹底できれば感染の拡大に大きくブレーキがかかるはずだ。
しかも、これは早ければ早いほど有効で、初期の段階なら検査の網は小さくてすむが、遅れれば遅れるほど大きな網が必要になる。広がりきったウイルスの海にちっぽけな検査の網を投げてもおそらく何の実態もつかめない。

何を基本的なことを書いているのかって?そのとおりで、これはこれまでに多くの先進国で当たり前のように行われてきた処方なのだから。それでもなお、多くの死者がでたことや感染が爆発的に拡大したのは、先の封じ込め政策は文章で書くほど完璧には遂行できないということ。そして、私達はこの未知のウイルスについてまだそれほど多くの知識を持っていないからだろう。


新型コロナの感染者数のライブ統計が載るworldometersというサイトがある。
(5月20日現在)感染が確認された世界214カ国中、現感染者数がゼロになったのは僅か21カ国、そのほとんどが人口の少ない国と小さな島国である。
一方、人口100万人当たりの検査数が1万件以上の国で、累計感染者数が1000人以上、9割以上がすでに回復しているのは、香港、ニュージーランド、オーストラリア、韓国、デンマーク、スイス、アイルランド、ドイツなどである。こういった国々では闇の中に微かな明かりを見ているに違いない。
しかし、サイトの表に目を向けると大多数の国ではまだ回復者よりも現感染者の方が多く、南北アメリカに至ってはいまだ感染が拡大している。当然、検査数の少ない国では現状の把握もできなければ、出口戦略さえ練れないというのが現状だ。


話をコロナ渦の出口に向かいつつある国に戻そう。1万人以上の感染者を出した韓国では今月はじめプロ野球とサッカーKリーグが無観客で開幕。選手、関係者全員が検査を受け全員の陰性を確認してからの開幕だった。
一方、ドイツ(感染者17万8千人)のサッカー・ブンデスリーガも先週末から無観客でシーズン再開。こちらは36チーム1724人の全員検査の結果10人の陽性者が出たが、クラブの財政事情を考慮しての苦渋の再開決定。
しかし、私が驚いたのはこの2つの国がプロリーグ再開にあたって関係者全員の検査をやったところだ。それでもなお無観客なんだなぁ。
日本では夏の甲子園が中止になった。Jリーグ、プロ野球はどうなるのだろう。気合で始めるのか(笑)データの裏付けの上に戦略を練っている国と雰囲気で政策を決めている国はこういうところで差が出てくる。実態が把握できていなければ「念の為」全てをストップせざるを得ない。


1週間ほど前だったか、こんなニュースもあった。私にとってはこちらの方が重要かもしれない。新型コロナが収束しつつあるニュージーランドとオーストラリアのコロナ対策会議が両国間の自由旅行の再開時期について協議した。
「まず国内線の便を戻すことが先決。両国を結国際線に関してはお互いの国の感染者の推移を精査して考える。とはいえ再開はまだまだ先になるであろう」という結論に達した。


私を不安にさせたのは、今後、旅客の自由な往来の可否が互いの国のコロナ対策の実績や数値で判断されるようになりそうなところ。少なくとも有効なワクチンが世界の人々に行き渡るまでは。
その時に私の国の極端に少ない検査数、データ数で、どのくらいの説得力を持って「コロナをコントロールできている国」と認めてもらえるのだろうか?
さもなくば、私達はずっと汚染国認定をはずしてもらえず、旅を2週間のホテル自主隔離からスタートしなければならない。また、逆も然り。日本への旅行に対して注意喚起を促される可能性も十分あるし、自主隔離でスタートしなければいけない外国人もいそう。世界を元通りに飛び回れるようになるのは一体いつになるのか。なんだか目眩がしてきた。



ワテかて! (2020年4月 )


ウイルスが体内に侵入すると警報が鳴り響く。人の体はウイルスに抵抗すべく抗体(タンパク質)を作り出す。その抗体はそのウイルス専用に作られたいわば特殊部隊。そのあとは人間の体内でウイルス軍と抗体軍との壮大な捕物帖が始まる。ウイルスは至るところに身を隠し増殖し、抗体はそれを見つけ次第一気に攻撃を仕掛ける。

抗体軍が負けてしまうと、そこはウイルス軍が支配する死の世界となる。逆に抗体軍が勝どきをあげれば抗体はしばらく体内に残ったのち消える。しかし、体はそのウイルスに対して最適な抗体を作るノウハウを学んでいる。つまり「免疫」ができる。さらに付け加えると、抗体軍が過剰に反応し派手にウイルス軍とドンパチやられると人間の体の方が持たないこともある。
これが私が持っているウイルス感染に関する素人知識だ。


4月23日付けのイギリスBBCのサイトに新型コロナウイルスのワクチンに関する記事が掲載されていた。

ワクチンはいつできるのか?という質問に対して、多くの専門家はウイルスが確認されてからおおよそ1年から1年半後、来年の半ば位になるだろうと考えている。しかし、出来上がったワクチンが100%有効かどうかも定かではないし、新型コロナウイルスはすでに4つのタイプが世界に拡散しいる。

一方、通常数年かかるワクチンの開発を数ヶ月で成し遂げようと世界中の研究者たちがしのぎを削っている。
3月、米シアトルで世界で初めて新型コロナワクチンの臨床試験がアナウンスされた。動物実験を飛ばしていきなりの人体試験である。
イギリスのオックスフォードでは800人以上の志願者による欧州初の臨床試験が始まっている。
オーストラリアの科学者たちはすでにフェレットに2つの有効性の期待されるワクチンを投与し、4月末までに人体での試験を見込んでいる。
世界の大手製薬会社もワクチン開発に関して手を結んでいる。


ワクチンとはどのように作られるか?という問いに対しては次のように説明している。

ワクチンとは、いわば毒素を抜いたウイルスを人体の免疫(抗体)システムに晒すことによって、本物が来たときにどうやって戦うかを体に学習させるためのもの。
過去数十年に渡って予防接種で使われて来たのはウイルスから作った生ワクチンである。しかし、新型コロナのワクチンは全く新しいアプローチで作られ「プラグ&プレイ」ワクチンと呼ばれる。
すでに新型コロナウイルスの遺伝子コードは解明されているので、我々はウイルスを人工的に作り出す完璧な設計図を持っている。
オックスフォードの研究者たちはその遺伝子コードの一部を、チンパンジーに投与された(コロナでない)無毒ウイルスに埋め込むことに成功している。この新型コロナウイルスに似せた安全なダミーウィルスを人間に投与できるようになれば免疫システムに対して、本物が入って来たときにどのように戦えばよいかを学習させることができそうだと述べている。
別のグループはDNAやRNAといった遺伝子コードの一部を直接体内に投与し、ごく微量のウイルス(タンパク質)を体内に生成させることによって免疫システムに学習させるというアプローチを行っている。


さて、ここまで書いてきて思ったのは、結局ウイルスに対して立ち向かうのは自分の体なのだということ。人間の体はそのときどきに出てくる全く新しい敵に対して自ら抗体を作って戦ってきた。そのサバイバルゲームに勝ち残った者たちの子孫が私達なのだ。
しかし、ちょっと視点を変えればウイルスの方も生き残りに必死だ。抗体と戦わねばならないし、2週間以内に次の寄生先を見つけなければ死に絶えてしまう。人間に長い歴史があるようにウイルスにも長い歴史があるのだ。そして生き延びるために少しずつ進化を繰り返す。適者生存の法則。ウイルスは口にするだろう「ワテかて必死やねん!」そして人間曰く「俺かて!」

けれども、自分の抗体を信じて未知のウイルスにエイヤっと戦いを挑むにはリスクが大きすぎる。討ち死にする可能性大だ。したがってワクチンが我々の抗体にその対処法をインプットしてくれるまでは、ひたすら罹らないように罹らないように行動するしかない。「君子危うきに近寄らず」ということわざがあるけれど、近寄っているかどうかわからないのが厄介なところだ。



今日の一枚
” 私の影、私の体 ”  2020年







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