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威勢のよい極論が支配する世の中で


今年の夏、山口県の高校での話。生徒たちに授業で安保法案に対する意見を発表してもらい「どれが最も説得力があるか」の模擬投票行った。これに対して自民党の県議から、中立性が問われる教育の現場にふさわしくないのでは?という声が出た。県教育長は「法案への賛否を問うことになり、配慮が不足していた」との見解を示し、自分の責任についても言及。
このニュース、何故か大きく報道されなかったが僕の記憶には強く残っている。18歳で選挙権を持とうとする高校生が教室で政治問題について真面目に議論する、いったいこの行為のどこが非教育的なのだろうか?政治になんか全く興味を持たず、授業中は居眠りばかりしていた僕に比べたらこの生徒たちはよほど大人である。


僕が同じような「討論」の授業を受けたのはずっと後、アメリカに留学して大学付属の語学学校にいた時だ。相対する意見を持つグループに分かれて討論をした。議題は「抑止力は有効か否か?」とか「銃規制の賛否」といった実際の社会問題に関するものが多かった。留学生だから英語はおぼつかないけれど、実体験に基づいている分意見はけっこう生々しい。中国も韓国もパレスチナもアラブ諸国も、世界の学生が集まっているのだからいわば真面目な国際会議だ。

討論の要はいかに相手を納得させるかだが、賛成反対のグループがほぼ同数に割れない時は「抑止力否定派」の僕が「肯定派」にまわされることもあった。まことに不本意ではあるが、相手陣営に入ると四苦八苦しながらもそれなりの論陣を張れる事に気がつく。すると、徐々に賛成派と反対派の意見が俯瞰的に見えてくる。
そこから見える景色は「中立」だった。不偏不党ではなく、異なった意見を持つものが自由に討論できる場所が保証される民主主義の中立。教師もまた自分が保守派であろうとリベラルであろうと隠さない。国民として自分の主義主張は持っていて当然であって、教師に求められるのは、異なった意見に対して平等に発言の機会を与える「指揮者」のような役目だった。


多くの場合において「中立」というのは何のタブーもなく、異なった意見を拾い上げることでバランスがとられるものではないだろうか。もちろん不偏不党を持って中立を守らなければならない立場もある。例えば「公共放送」のように。けれども、奇妙なことに日本では政権に偏向しているNHKが中立であるとされ、政権に対して異論が出そうな高校の授業は「中立性を疑われる」事柄になってしまう。日本の民主主義や言論の自由はかなり危険な状況にあると僕は思う。


ネイティブのアメリカ人は討論の訓練をおそらく小さな頃からやっている。高等教育を受けた人なら誰しも割り振られたグループに入って意見を述べることはできそうだ。ましてやプロ政治家となればさらに口が立つ。アメリカのみならず学生時代からそういった西洋的な討論の訓練を受けてきた政治家と日本の教育を受けてきた政治家が果たして対等な外交ができるだろうか?討論のノウハウが無いから反論を食らう場には絶対に出て行かない。もう、なんというか日本の教育の敗北である。そんな折に山口県の高校の話を聞いた。やっと日本の教育の現場にも民主主義の灯火がついた・・・と思ったら、なんのことはない現政権によってそのろうそくの火は簡単に吹き消されてしまった。そして、再び元の暗闇に戻った。



アメリカの社会はこうして自由に意見を述べる場が与えられてバランスを保っている。しかし、そんなアメリカでも9.11のようなショッキングな出来事が起こるとナショナリズムが湧き起こり、世論は戦争支持に傾いた。フランスもまたテロが起こるとその感情を怒りの空爆に変えた。そしてロシアもイギリスも。

「シリアへの空爆では平和は訪れない」と評論家は言うけれど、今シリアでの空爆をやめてもおそらく平和は訪れない。分岐点はもっと初期にあった。政治家は他国の内戦に干渉してゆくことが、自国民にどれだけのリスクを与えるのかを考えるべきだった。裏返せば、なぜこんな恐ろしいテロと空爆の報復合戦になったのか、その「いきさつ」は争っている当時者同士が一番よく知っているはずだ。その上で双方が「我こそが正義だ」と主張する。しかし、その「正義」は極めて主観的なもの。おそらく敵は「我こそが正義であなた方が悪だ」と主張するであろう。はたして自爆テロは悪で、敵陣に打ち込むのは「正義のミサイル」なのか?そんなバカな話はない。双方が振りかざす自分勝手な「正義の鉄槌」によって罪のない人々が土地を追われ、命を奪われている。


安倍首相が集団的自衛権の説明でこんな例を出した。題して「安倍くんと麻生君」。ふたりは同級生。ある日の放課後安倍君が不安そうな顔をしているのに麻生君が気づく。理由を尋ねると、安倍君は帰り道でいつも不良グループにいじめられるそうだ。そこで麻生君は安倍君に言う「一緒に帰ろう。不良グループに絡まれたらボクが一緒に戦ってあげるよ」これが「集団的自衛権」なのだそうだ。

しかし考えてみれば「あるところに不良がおりました」という設定は現実社会ではありえない。正義も悪も主観に過ぎないのだから。もしかしたら争いの原因は安倍君かもしれない。いきさつを相手に問うこともなく、担任の先生に報告することもなく、学級会の議題にもせずいきなり安倍君擁護のために相手に殴りかかる。そんな野蛮な学校、僕なら直ちに転校させていただきます(笑)一国の首相が「集団的自衛権」をこのレベルで認識しているのかと思うと、国民としてはなんだか頭がクラクラしてくる。その法案が成立し来年春には施行される。


「安倍君と麻生君」的な認識というのは今に始まったことではない。9.11の直後「テロには断じて許さん」と声高に宣言して、アメリカのイラク空爆を真っ先に支持したのは小泉首相だった。アメリカが演出した「勧善懲悪」のフィクションに真っ先に拍手をしたわけだ。イラク戦争によって中東や世界はどうなっただろう?平和になったか?それは新たな復讐の火種になったのではないのか?

当のアメリカは最初からあの戦争で自国が何を失ったかよくわかっている。だからイラク戦争はトラウマになりシリア空爆に対する慎重論もでてきた。ところが、争いに最初から関わっていない日本はイラクから学んでいない。そんな中、先月日本の内閣府はアメリカの元国防長官ラムズフェルドと元国務副長官のアーミテージに勲章を与えた。信じられるだろうか?米国をイラク戦争へ導いたり、テロに対する共闘を日本に求めた米国の政治家に。

不良グループとの消耗戦に身も心も疲れ果てた安倍君は「果たして自分のやったことが正しかったのか?」と肩を落としうつろな目で考えている。その安倍君の胸に麻生君がそっと勲章を・・・なんだか悪い夢を見ているようだ。今後は安倍君の喧嘩に麻生君はより積極的に関わっていくことになる。ここでちょっと考える。自分が「不良グループ」だったらどう思うか?安倍君との喧嘩のいきさつについてはよく理解している。ところが途中から喧嘩に加わった麻生君がいきなり自分たちに殴りかかってきたら何だか釈然としない。



つまるところ道端の喧嘩に軽々しく加わるべきではないのだ。では日本はシリアやイラクの平和のために何をすればいいのか?難民を受け入れることが困難ならば、難民救済をする団体を援助することでもよいではないか。先日、ユニクロに行ったら難民救済のためリサイクル衣料を送るプロジェクトをやっていた。すばらしいことだと思う。一方「ISと戦う周辺各国に総額2億ドルの資金援助をする」と今年の初めエジプトで声高らかに表明した安倍首相にはどんな考えがあったのだろうか?おそらく何も考えていないかったんだろう。

そして、それは後藤さんと湯川さんの事件の引き金になってしまった。2人の日本人人質のニュースを僕が知ったのは旅先のバングラデシュでのこと。僕はある番組で後藤さんがこんなことを語っていたのを思い出した。「自分の役割は戦場から逃れてきた一般の人たちを取材し、みなさんにその現状を知ってもらうことだ。しかし、戦禍が拡大するにつれ戦場と難民キャンプの境目がなくなってきた。これからはもっと危険な環境で仕事をしなければならなくなりそうです」

そのバングラデシュでは10月に農業プロジェクトに携わっていた邦人の方が殺害され、ISから犯行声明が出た。アフリカにもアジアにも住民のために献身的に仕事をしている日本人がたくさんいる。現地の人の口から日本人外交官の名前なんて一度も聞いたことがないが、奉仕活動をしている方たちの名前はしばしばフルネームで出てくる。
志の高い、草の根的平和外交に尽力されている日本国民が首相の威勢のいい無神経な発言で危険にさらされる。「わが国の国民には指一本触れさせない」と威勢よく叫んだために2015年は既に3人の自国民の命が奪われた。海外旅行好きな首相が諸国漫遊するればするほど、日本国民の行動範囲が益々狭まるというのはなんとも皮肉な話だ。


こう書くと「あなたはテロリストの味方なのですか?」と言う人がいる。事実、安倍首相が国会答弁で自分の人質解放作戦失敗について非難されたときにそう発言した。「反対するなら対案を出せ」対案がなければ反対する権利さえ今の日本にはないのだろうか?
こうした短絡的な極論が世界中に蔓延しているような気がする。テロリストも巨大国家も、オール・オア・ナッシング、白じゃなければ黒みたいな。けれども、おおよそ人の意見というのは「白」と「黒」の間、グレーの空間でふわふわと漂っているものだ。戦場では敵か味方かしかない。究極の極論対立が戦争ならば、せめて話し合いだけはグレーの意見をすくい上げられるものであってほしい。そしてその機会は与えられるべきものだ。平和への道筋はおそらくそこにしかない。


2015年12月記



今日の一枚
” 帰国 ” 日本・東京都 2015年







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