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アメリカの豊かさとは


「この国の豊かさというのは、誰でも非常に安価に物やサービスを手に入れることができ、何にでも広く浅くチャレンジできるというところにあるんだ」アメリカ人たちはそう話した。もうずっと昔、僕が向こうにいた頃の話。


一方、当時の日本はバブル真っ盛り。見栄と虚栄の都。大学のキャンパスがヴィトンのバッグで溢れた時代。物価も高いが給料も高い。そういう国から渡米したわけだから「アメリカの豊かさとはね・・」と説明されたって、正直、僕にはピンと来なかった。その意味がなんとなくわかるようになったのは、皮肉にも帰国してバブルがはじけ、デフレと呼ばれる時代になってからだ。
規制緩和や外資の参入によって高かった日本の物価が下がり(もちろん競争してない業種は高止まりだけれど)徐々に諸外国の水準になる。それによって僕たちは同じ値段でより多くの物やサービスを手に入れることができるようになった。


航空運賃を例にとれば、東京から沖縄まで往復7、8万円払っていたのはもう過去の話で今や2万円弱。8万円あれば東京ー沖縄往復して、札幌往復して、もう一回沖縄往復できる。これでも僕たちはデフレのせいで貧しくなったといえるだろうか?自由化と低価格競争によって収益が悪化して、景気が悪くなるというのは、実は既得権益の上で胡坐をかいてきた日本の大企業や政治家たちの詭弁ではないだろうか?2万円で沖縄に行って来れれば、残ったお金を他の消費活動に回せる。資本主義経済ってのはそうした薄利多売と自由競争によって発達してきたのではないか?
重要なポイントは「当時のアメリカは所得が高い割りに物価が安かった」という点だ。この差が大きければ大きいほど僕たちは(少なくとも物質的には)豊かになる。逆にデフレ下の日本でなぜ豊かさを実感できなかったのか?物価と同時に所得も下がっていたからである。その理屈から行くと、物価は安いまま所得さえ上がれば僕たちは豊かになるはずだ。


ところが、日本ではいつの頃からか「デフレ性悪説」みたいなものが叫ばれるようになり、「インフレ=景気回復」がまことしやかに語られるようになる。しかしそれはウソだ。世の中には不可逆なものがたくさんある。景気が良くなりインフレが起こることがあっても、インフレにすると景気が良くなることなどない。火事が起こったから消防車が出動するのであって、消防車が出動したから火事が起こるわけではないでしょ?
現政権や日銀が「デフレ性悪説」をひたすら唱えるのは、おそらく国民を豊かにするためではなく、自分の保身のためなんだろう。自分たちの経済政策の無策も全部デフレのせいにしてしまえばよいのだから。
「デフレ脱却」を公約するのは簡単だ。金融緩和で円安に持ってゆけばよい。ダメ押しで消費増税を行えば、原材料費増を価格転嫁せざるをえなくなる。公約どおり物価上昇が始まる。ドル建ての日系大企業の収支は黒字になる。で、その後どうなる?注意しなくてはいけないのは政権は一言も「不景気脱却」とは言っていないところだ。増税と円安の中で日本の大企業の見かけの業績が回復し、国民がギリギリで生活しているあたりが政府としてはちょうど良い。そう、この「見かけ」というやつが日本人、特に日本の政治家にとっては内容より重要なんだ。


一方、日銀は日本経済の体裁を保つのに必死だ。「増税は日本経済に悪意影響は与えない」「円高なる理由は考えられない」「日本経済は順調に回復している」ネガなことは口がさけても言わない。日銀は調整された一本調子の発表しかしないと解っているから市場も全く反応しない。結局、日経平均株価は為替の動向と海外の経済指標、政情でしか変動しなくなる。日本の景気回復への期待感なんて株価に全く影響を及ぼしていない。アベノミクスのハンドパワーなんて本当はどこにもなくて、ボールを動かしているのはおそらく「重力」と「風」だ。


この日経平均株価がマスコミでも頻繁に取り上げられ景気回復のバロメーターにされるのなら。メーターの針を高値に張り付かせれば、先にも書いた「見かけ」はつくれる。
為替にドップリ依存した市場だから、例えば東京市場が開いている時間帯だけ円売りの圧力をかければ最小限のエネルギーでコントロールできる。為替で煽っておいて株で儲けさせる。「ほら、株をやると儲かるからあなたもドンドン買ってちょうだい」政府と日銀で二人三脚の劇場演出、ご苦労様です。
しかし考えてみれば、日本を代表する225の優良銘柄が上がったからといって我々の生活が楽になり、景気がよくなるわけではないのだ。その辺を錯覚させていかにも自分のやっていることが効果的に働いているように見せるもの政治家の策略。例えばあなたの家の近所に出血大サービスのパチンコ屋ができたとする。店は大賑わい。はたして、ご近所の景気もよくなるだろうか。しかも残念なことに、その客の多くは海の向こうからインターネットでパチンコを楽しんでいるのだから。


さて、先ほどの「見かけ」に関連してもうひとつ。アベノミクス(おそらくレーガノミクスの真似なんだろう)に異次元の金融緩和、ALPS、SPEEDIと日本人は異様なまでにど派手な名前に固執する。ところが名前のデカさに対して内容がお粗末だ。ちなみに「異次元の金融緩和」って海外ではどう訳されているのか調べたことがある。「金融緩和」と訳されてましたっ。
政府は時に応じて実に言葉巧みに自分たちにとっての好材料の数字を発表する。「0.01ポイントの上昇。これで7ヶ月連続の上昇」というように。0.01ポイントの増加なんて誤差のようなものではないだろうか。しかし「7ヶ月横ばい」と「7ヶ月連続上昇」とでは国民の受け止め方はずいぶん違う。
消費増税による売上高の落ち込みは意外に少なかった。と大手百貨店のデータを発表する。しかし考えてもみなさい、一体この国の何パーセントの人が都心の百貨店で頻繁に買い物をするのだろうか。増税しても消費活動に影響しないからまた増税する魂胆。
世の中斜に見ている人にとっては不愉快なほど見えすいたインチキ商法。しかし、本来そこに冷静な目を向けるべきマスコミまでもが何のアンチテーゼも示さず政治家に迎合してしまうと、素直な人たちはここで物価高や増税に耐え忍べば経済は成長に転じる。現にもう景気は上向いているではないか、と言うに違いない。



リーマンショックのあの日(2008年9月15日)、僕は旅先の北京のホテルでTVを見ていた。画面には当時の日本の首相が映っており、演説でこう豪語していた「アメリカが風邪を引いたら日本もくしゃみをするようではダメだ」と。ところが蓋を開けてみれば日本はアメリカより重い風邪を引いてしまった。その首相は今、財務大臣をやっている。不思議な国だ。
以後、米政府がとってきた経済刺激策によってアメリカ社会がどうなったか。貧富の差が拡大した。多くの人々が柄杓から水が溢れるように貧困へと転落していった。アメリカ人の友人からは身につまされるような話をずいぶん聞いた。
同じことを今さらながら日本は模倣している。果たして富裕層を先に富ませて、徐々に下層に広げるという策はアメリカの二の舞にならず良い結果をもたらすだろうか?(先にも述べたように一億総中流階級の日本を知っている身としては「日本の富裕層」なんて言葉に寒気すら覚えるけれど)僕はアメリカの悪夢が日本でも繰り返されると思う。物価と税金だけは上がり続け、所得は増えない。日本人はますます貧しくなって行く。ああ、アメリカの豊かさとは真逆に進んでいるんだなあ、きっと。


さて、長くなってしまった。今アメリカ人に「アメリカの豊かさとは?」と問うたらどう答えるだろう?いやいや、それよりも「日本の豊かさとは何か?」に明確に答えられる日本人はどのくらいいるだろうか?



2014年6月記







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