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僕がKさんと歩きながら話したこと その2


「みんな幸せそうですね」「あなたは幸せじゃないんですか?」「どうなんでしょう?」と僕。「あれほど経済的に豊かな国に暮らしてるのに?」「いや、今は見る影もないですよ」「イランもね、ここ数年経済がひどくてね。生活はすごく苦しい。物価も高騰したし」
なるほど、イランに来てインフレの凄まじさに驚いた。物価はここ1、2年で2.5倍くらいにはねあがっている。イラン通貨で書かれた最新のガイドブックなどは全くあてにならない。米ドルに換算してみるとあまり物価は変わっていないので、自国の通貨の価値が暴落しているということだ。外国人旅行者はアメリカの経済制裁のためにクレジットカードも使えず、結局、分厚い現地通貨「リアル」の札束を抱えて旅を続けなくてはならない。1ドルは30,000リアル。お茶に10,000リアル、食事に150,000リアル、ホテルに1,000,000リアル。ね?「0」の感覚が麻痺してきますでしょ?0が余りにも多いので人々はひとつ0を切り捨てて「トマン」という単位を使う。これがまた事態をややこしくする。最後まで値段の感覚がつかめなかったキューバの悪夢がよみがえった。


「日本はね、不景気になってずいぶん物価が下がったんですよ」「ああ、日本といえば物価が高いイメージがあるものねえ」「そう。でね、今の政府は景気を回復させる為にインフレを起こそうとしているんです」「はあ?なぜインフレが景気回復に繋がるんですか?」とKさんが首をかしげる。
不思議に思うのも無理はない。僕自身こんなトンチンカンな理論はないと思うのだから。一体全体「借金して大きな家を建てれば金持ちになれる」などという理屈がどこで通用するのだろうか。自国の通貨が紙のように価値を失うのを目の当たりにして来た人はインフレの本当の怖さを知っている。
最近、日本の物価は上昇してきた。円安によるコストの増大が主な要因。1.02倍になれば1.5倍なんてすぐだと思う。仮に消費が控えられて表面的な物価上昇が抑えられたとしても、商品のボリュームは減り、品質やサービスは益々劣化していくだろう。これは今までと同様の隠れメタボ、いや、隠れインフレである。実は日本はずっとインフレなのだ。一方、アメリカとの融和ムードでイランのインフレはやや収まった、とKさんは話した。


「イランはね、天然資源が豊かなんだよ。石油も他の鉱物も。でもね、政府はタダみたいな値段で外国に売ってしまう。しかも、儲けてるのはお役人ばかりで庶民は全く恩恵に預かれないんだ」僕は知らなかった、イランが世界第4位の産油国だということを。ガソリン価格は1L30円、日本の5分の1だ。エネルギーコストが低いからバスや電車の運賃も驚くほど安くできる。それなのに、オイルマネーで潤ってるアラブ諸国と比較するとかなり「うまくやってない感」が漂う。
一方、下々の庶民にまで経済の恩恵がまわってこないのは日本も同じかもしれない。あるとすれば、イランはトップの一握りの人にしか金がまわってこないが、日本はそのひとつ下の層まで潤ってるという程度の違いだろうか。これが格差社会ならば今や世界中同じような状態なのかも。
けれども、エネルギーを自前で調達できるというのはイランの大きな強みだ。たとえ石油をうまく売りさばけなくても国内産業の生産コストは格段に安くなる。それに比べると日本はイバラの道だ。本来なら脱原発、脱化石燃料の代替エネルギーを早急に考えなければならないのに。事故を起こした原発技術はもう国内では行き場が無いから政府は中東諸国に売り込もうとしている。買ってもらう代わりに日本はずっと高い石油を買いつづける約束をする。まるで2年縛りの携帯電話の契約みたいだ。一向に新しいエネルギーの開発は進まない。


核開発問題でアメリカに歩み寄る態度を見せてから、イランの経済にも薄日が差してきた。戦争、経済制裁と長い長いトンネルに入ったままだったイランがようやく日の目を見る時が来たのかもしれない。そして、そろそろ日本もね。「ところで日本の女の子はどうなの?○○○×××?▲▲▲◎◎※?」なんだKさん若いな。最後はただのエロおやじになってしまった。
「さあ、広場に着きましたよ。私はあっちの方向に行くのでここでお別れです」話しながらだと2kmはすぐだった。僕はずっと気になっていたKさんの大きなビニール袋について聞いてみた。「ああ、これかい。子供の勉強机に置くデスクライトを買ってきたんだよ」なるほど、お孫さん・・・ですかね。
「ところでKさん。Kさんは幸せですか?」「ああ、幸せだよ。今が一番幸せさ」「良かった。その言葉を聞けて僕もまた幸せです」Kさんは自分の胸に手を当てて微笑み、僕たちは夕暮れの雑踏の中で別れの握手をした。


2014年1月記



今日の一枚
” ゴールド ” イラン・ケルマン 2013年




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