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何の見返りも求めない その1


あなたのためにしてあげる。国民のため、社会のため、地球のためにしてあげる・・・と言いつつ、その裏に私利私欲みたいなものが見え隠れするとすごくガッカリする。日本に住んでいるとそんなことばかりが目につく。


たとえば、環境保護と温暖化防止のために特定の企業、商品を指定して買い替えを促進する政策。本当に環境保護が目的ならば古い車を廃車にせずに大切に乗る人に優遇策を与えるべきであろうし、国民に対して低運賃の電車やバスのサービスを提供するというのが正しい論理だと思うのだけれど。
結局、数年前にあれほど騒がれた「モーダルシフト(トラックから貨車へといった輸送手段の再編)」なんて言葉はさっぱり忘れ去られ、トラックは増えるばかり、僕が子供の頃にくらべて自動車の数は数倍に膨れ上がった。地球環境保護という錦の御旗の下にガッポリ利益を頂戴しようとする政治家や経済団体やリサイクル業者の魂胆が見え見えですな。


小さなところに目を向ければ際限ない。電力が切迫しているからと未だに照明を半減している図書館はおそらく電気代を節約したいのであろう。だったら正直に「財政難のため照明を消してる」と張り紙をすればよい。そうすれば市民も「わが町の財政危機や高すぎる電気料金」に問題意識をもつだろうに。
震災の瓦礫処理問題もそうだった。瓦礫の受け入れを決めた自治体は当然、善意から無償で引き受けているんだと僕は思っていたよ。ところが実際は政府からもらえる瓦礫処理に伴う交付金を目当てにしていた。善意もここまで腐り切っていれば大したものだ。
他にも「(あなたの健康のために)カロリーを減らしました」をうたい文句に内容量を減らしてるレトルト食品なんてのもある。了見狭すぎるかなぁ(笑)
仕事でも何でも最初はうまい言葉ですりよってくる人がいるが、チラチラと裏側の計算みたいのがみえるようになってくると途端にイヤになる。そういう時はそっと離れて行くことにしている。で、気がついてみると僕の周りには誰もいなくなってる。物事にはある程度の寛容さも必要なんですかね(笑)


日本人は自分も含めて非常に利己的な国民だと思う。(もちろんそうではない人もいます)社会のため人のためよりまず自分の損得を考える。原発政策もそうだ。「もうあんな悲惨な目に合うのはいやだ。ひとたび事故が起きれば人も自然も破壊する」という反省から進むべき道を考えれば、当然満場一致、地球環境を気にしている国民は力を合わせて同じ方向に向かうはずである。(どっちの方向とは野暮だから書かないけれど・・)
ところがそこここに対立が生まれる。なぜか?それは皆がそれぞれの立場で損得勘定をしているからだ。エコを訴える国は皮肉にも福島の事故処理ですっかり化けの皮が剥がれてしまった。本当は地球環境のことなんかどうでも良いのだ。


話が脱線してしまった。そんな中、家族の間の愛情くらいだろうかね、何の見返りも求めない愛ってのは。でも、悲しいことに日本では今その家族の規模が縮小していってる。会社という相互扶助のコミュニティーが崩壊し、地域のコミュニティーも崩壊して、利己的な国民はこの先どうなるんだろう。
僕は時々、実にへんてこな想像をする「自分が道で行き倒れかけたときに、そっと手を差し伸べてくれるような人たちのいるコミュニティーってどこだろう?」日本では到底期待できないから、自分の行ったことのある街の中から探してみる。サンセバスチャン(スペイン・バスク)の旧市街はどうだろう?とかティワウォン(セネガル)は?ファレス(メキシコ)じゃムリそうだな、とか。けっこう細かく、しかもかなり真面目に考える(笑)


そんな折、今回の旅の目的地が「とにかく人が親切で暖かい」と噂に聞くイランとあって楽しみにしていた。なんとなく僕の「へんてこな想像」の最有力候補になりそうだからである。


2013年11月記



今日の一枚
” 家族写真 ” イラン・マハン 2013年




fumikatz osada photographie