<< magazine top >>








上海茶会事件 その2


階段の上り口には重厚な木彫りのテーブル。男たちがタバコをくゆらせながら何やら密談を交わしていた。彼らのもとに若い衆がやってきて何かの報酬の札束を受け取る。ポッターとウェンディーは男たちに一瞬目くばせしたようにも見えた。一方、一眼レフの男は赤い絨毯が敷かれた階段を二人の後について上って行く。二階は雑然とした一階の骨董置き場とは対照的に整然としている。しかし、なんとなく薄暗いその感じはガイドブックに掲載されている茶館というイメージからはかけ離れている。
チャイナドレス姿の若い女たちが三人を出迎えた。ポッターが中国語で女に告げる。二階のホールにはドアが3つある。若い女の中の一人が一番右の扉を開いて三人を小部屋に通した。小部屋には長いすとテーブルがあり、その上に茶芸セットがこぢんまりと置かれている。それはまるで占い師の小部屋のようだった。


一同が席に着くと、向かいに立ったチャイナドレスの女が中国茶の作法の説明を始めた。ウェンディーがそれを日本語に訳し、ポッターが英語で会話に加わった。女がすだれのように丸められた竹製の品書きを一眼レフの男に見せる。「烏龍茶60元(700円 )、プーアル茶60元(700円)... これは一杯の値段だろうか?だとしたらずいぶん高いな」と彼は感じた。
「どれにする?」
ポッターとウェンディーがまくし立てる。男は困惑していた。「いきなりお茶に誘われ、中国茶のメニューを見せられどれとどれを飲んでみたいかと聞かれても・・・」
結局、お任せということになった。そうだ。この状況では当然そうなる。ポッターとウェンディーは男が術中にはまったと確信した。思わずウェンディーの口元がほころぶ。


茶の作法に始まり、茶の薬効、香りの好み、果ては占いまで絡ませた解説付きで茶会は続けられた。一眼レフの男が手に取るお猪口のようなちいさな器の茶一つ一つにポッターとウェンディーは矢継ぎ早に説明を加えた。事の進行は実に巧妙だ。三人とも茶会を楽しんでいる。しかし、肝心な決断はかならず何が起こっているかわからない男にゆだねられる。したがって、このロールプレイングゲームはすべて一眼レフの男の決定で進んでいることになる。


一通り茶の儀式が終わったところでチャイナドレスの女が退室する。そこで初めて三人は茶を飲みながら話す。一眼レフの男は自分が写真家であることを明かし、お近づきのしるしに二人に名刺を渡した。さらに「どんな写真を撮るのかみたいわ」というウェンディーに応えるかのように、男は鞄の中に用意されていた数十枚のプリントを取り出した。二人とも最初は興味深げに写真を繰っていたが、だんだんそのスピードが速くなりポッターがあくびをし、最後に非常に簡潔な感想を言われて写真が返された。写真家は東京でそういった場面を何百回と経験して来た。なんとなく気分が落ち込む一瞬である。気を取り直して彼はこう尋ねた。
「そうだ、せっかく伝統的な茶会を見せて貰ったんだから写真を取らせてもらいたいな」
「待って。お姉さんが戻って来たら写真を撮ってよいかどうか聞いてみるから」
ウェンディーが答えた。
やがて、女が戻ってきた。ウェンディーが写真のことについて聞くと「ここでは撮らないでくれ」という返事。ある意味「観光イベント」であるこの茶会で写真を撮れないというのも妙な話だ、と写真家は思ったがとりあえず反論をこらえた。


「最後のお茶です。これは少々値段が張りますが、どうしますか?」女の言葉をウェンディーが訳す。再び決定権が彼に振られる。飲むとなれば三人が飲むし、飲まないとなれば最後のお茶はお預け。そうなると、客である写真家の答えは自ずと「とりあえず飲みましょう」というふうに誘導されるわけだ。


2012年4月記



今日の一枚
” 交差点 ” 中国・上海 2011年




fumikatz osada photographie