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日本のODAについて考えた


ヨルダンの古都、サルトに向かう乗り合いタクシーでのこと。乗客の一人が僕に話しかけてきた。「日本人ですか?コンニチハ、ハジメマシテ。これから向かうサルトは伝統のある美しい町ですよ。実は私、JICA(日本国際援助機構)の方々と仕事をしてました。ええ、サルトでね」
その後、アップダウンの続く世界遺産の街を歩いて気づいた。確かに「JICA」の名前の入った観光用の案内板がたくさん立っている。その順路に従えば効率的かつ歴史を学びながら見てまわれる。そのままでは朽ち果ててゆく歴史的建築物が美しく修繕されている。丘の上に登ると斜面にへばりつくようにオスマン様式の山吹色の家々がみえる。自転車遊びをしている少年に「綺麗だね」と話しかけると彼は誇らしげにうなずいた。 その美しい町並みを保存するために日本のODA(政府開発援助)が一役買っていると思うと、僕の方もなんだか誇らしい気持ちになった。


これはヨルダンに限ったことではなく、例えばアフリカの小さな町でも「JAPAN」と名前の書かれた給水塔がそこここに見られたし、町の病院では日本人の医師が診察にあたり住民たちに本当に感謝されていたのを思い出す。
そんな中、景気が悪くなって「ODA予算を削れ!」という声が日本で聞かれるようになったのはさびしい限りだ。確かに海外に出てそういったODAの現場を見たことがない人にとっては税金の無駄使いと映るのかもしれない。それは「美術に興味がないから美術館はいらない」とか「自分は本を読まないから図書館は無駄だ」という言い分と同じだろう。


一方で青年海外協力隊の応募も近年は激減しているらしい。これもよく解る。このご時勢に海外に行って戻ってきてもおそらく仕事探しで苦労する。ミッションはすべて期限付き。「帰国後はその経験を生かして自分のキャリアに役立てろ」と言われても、日本でいったいどこれほどの企業がその経験を高く評価してくれるだろうか?政府は正規雇用促進を高らかにうたっているけれど、政府のODAで海外に派遣される雇用者たちは殆どが2年ぽっきりの非正規労働者である。
その国のために骨身をすり減らして働いてきた人間、その国と草の根的に結びついた人たちは、その後両国の架け橋になることもなく期間満了でバッサリと切り捨てられる。その代わりに現地の日本人大使館にはその国とは縁もゆかりもないエリートたちが東京から送られてくる。しかも彼らのイスは永遠に保証されているのだから世の中というのは不条理だ。


ああ、サルトの美しい景観になんだかさびしい話を付け合わせてしまった。今回はちょっと後悔。

2012年1月記



今日の一枚
” 庭 1 ” ヨルダン・サルト 2010年




fumikatz osada photographie